《楽しみは 夫婦の話題 突き合わせ》

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 ある社長さんとお話ししていて聞いたことです。友人が定年で家庭にいるそうですが,週に3,4日は昼食をするために外出するというのです。はじめは,夫婦で外食をして,奥さん孝行をしているのだと思いましたが,少し違っていました。奥さんが昼食の用意をしないでいいように,用もないのに外出するというのです。「今日は昼はいらないよ」と言って出ているのでしょう。男の不器用な優しさが分かるような気がします。会社勤め一辺倒で家庭の暮らしが身についていなくて,終日一緒に暮らすようになって奥さんにどう向き合えばいいのか分からないということです。そんな人が多いと話してくれました。
 気遣いが全くなくなってはいけませんが,お客さんレベルの気遣いは不思議な思いです。夫婦とは連れ添うことで造りあげていくものですが,それを怠ったということでしょう。連れ添うというのは形としては共に歩むということですが,共に歩むのではなく別個に勝手に歩んできたのでしょう。寝に帰る家でしかなく,食を共にしてこなかったことが手抜きになりました。寝食を共にすることが家族の基本でした。
 自分の気持ちは言わなくても分かり合えるのが夫婦である。それが男の信仰でした。言わなければ分からない。それが女の言い分でした。そのすれ違いは古くからありましたが,かつては夫婦のその断絶を埋め合わせてくれる人が傍にいました。お互いの気持ちを代弁して伝えてくれる親身な関係が傍にありました。親族がいましたし,子どもたちもたくさんいて,それとなく「親父がね,お袋がね,・・・」と耳に入れてくれていました。核家族になって,周りがガラガラになったお陰で,お互いの間を取り持ってくれる人がいなくなりました。それが現状の痩せた家族関係です。
 お互いの間をつないでくれる人がいたことで何も言わなくても済んでいたことを,また言ってくれる人がいたことで分かっていたことを,思い起こさなければなりません。今はそんな状況にはないということを弁えて,コミュニケーションを豊かにする努力が必要になっているのです。何もいきなり「愛してるよ」と語りかけることではありません。家庭の細々したことについて向き合って話し合うことからはじめればいいのです。
 一般的に男性と女性は話題の種類や話し方などが異なります。例えば男性は話の筋立てを大事にして結論を出そうとしますが,女性は筋立てよりも感じた順序にあれこれと話します。そんな相手の特性をお互いが受け入れてしまえばいいのです。それを自分のペースに合わせようとするから話ができなくなります。「そうだね」と共感しようとすることが受け入れることになります。それを日常的に繰り返していけば,夫婦は似たもの夫婦になっていくはずです。
 連れ合いの語ることに対して,そう思うのか,そんな風に感じるのか,ありのままに受け入れていくことは,夫婦の会話の楽しさです。

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(2006年07月30日号:No.331)