《楽しみは 少しの不便 そばに置き》

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 ごくたまに利用しているコンビニが,午前4時という時間に強盗に襲われたということです。早朝から所用で出かけていて帰宅する途中のラジオ放送で聴きました。家に着くと,連れ合いが「今お巡りさんが来て,コンビニに強盗が入ったって。何か気がつかなかったかと尋ねられたけど,何もなかったと返事したら,戸締まりに気をつけてと言われた」と一気に話してきました。テレビではコンビニ強盗は珍しくはないのですが,まさか近所でそんなことが起こるとは・・・。
 いつまでも犯人が近くをうろついていることはないだろうと思いながら。もしかしてという不安もないわけではなく,暑さをしのぐ風通しのためにガラス戸を開けることが躊躇われました。腕っ節には全く自信はないので,君子危うきに近寄らずと,用心するしかありません。午後になると,もう大丈夫だろうと勝手に決めて,いつもの暮らしに気持ちは戻ってしまいました。いい加減なものです。自分が犯人だったら,早く遠くに現状から離れていたいと思うという根拠に従いました。
 それにしてもコンビニとは不用心なお店です。辺りは寝静まっているのに,コンビニだけが営業しているという状況がよく分かりません。真夜中過ぎまで営業する効率が見込めるのでしょうが,だとすれば夜中は寝るものという感覚は普通ではないということになります。そんなに便利さ=コンビニエンスを求めているのは,余計なことのように思われます。暮らしには少しばかり不便さがあった方が,気配りを失わないことになるのではと感じています。
 電灯の発明以来暮らしぶりが夜更かし型になってきて,いまではすっかり世の中が夜更かし三昧です。テレビ番組も12時で蛍の光の音楽が流れたのは昔のことです。寝る時間を惜しんで観るほどの番組が年中あるはずもないのにと思う方が不自然になっています。そうらしいと言うことしかできないのは,夜中は寝ている暮らしから外れたことがないためです。11時が就寝,それでも遅いと思いながら,7時起床のペースがすっかり定着しています。結構夜の会議があり,10時までとなるので,寝るのは11時になるからです。お付き合いがある間は世間のペースに合わせなければなりませんが,そこまでです。
 世の中みんながいつでもどこでもとお互い自分に甘くなっているように思われます。甘い生活は気持ちをだらしなくします。キリッと気分を引き締めることを忘れているから,訳の分からないわがままで堪え性のない犯罪が増えています。さらには,耐える,我慢するという日常があれば,幸せに対する感度が高まります。生きることの楽しみも便利さからは外れたところにあると気がついて欲しいものです。

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(2006年08月13日号:No.333)