《楽しみは 関わる人の 数増えて》

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 住所・氏名・年齢・職業。これは個人情報です。個人を特定するために必要最小限の情報と言えます。公的な活動やボランティア活動のためには,個人との接触が不可欠です。ところが,個人が雲隠れをするような状態が出てきて,手出しができなくなってきました。手助けは最初の段階でどこか押しかけ的な感じがあります。一方で,支援をする立場にある人の情報も公表が憚られ隠されています。誰もが暗闇の中に追い込まれています。どうなるのでしょうか?
 人との関係が始まるのは,名前をお互いに知り合うことです。名刺交換の例があります。それは皆さん分かっています。今起こっているのは,不特定の人に公表することが忌避されているのです。情報化は望まない関係が結ばれる可能性を高めてくれます。お互いの了解が保証されていないことには不安が伴います。世間が広がるにつれて疑わしい人のいる確率が高くなるという恐れがあり,知らない人を信用できるかどうかは五分五分という判断が普通になります。
 資産情報などを含むプライベートな情報は公表すべきではありません。しかし,名前や住所は堂々と公表しなければ,権利の主張の前提が壊れてしまいます。例えば,氏名不詳・住所不定では社会的な生活が困難になります。隣に住む人の名前も知らないという社会では暮らしは成り立ちません。付き合うかどうかは別にして,誰ということは隣り合わせて暮らす上での最小限の必要な情報です。
 名前を知られているということが社会生活をする上で生き方にも影響しています。例えば,旅の恥は掻き捨てという故事は,どこの誰とも分からないことに隠れて恥ずかしいこともできるという気の緩みを言い表しています。知られているから,ちゃんと暮らそうと身を処すことができます。その抑制が窮屈であり嫌だと逃げるとき,周りとの関わりは無くなり気楽でしょうが,一方で自分が不気味な存在と思われていることになります。結果としてお互いに信じられなくなって,孤独になります。
 社会性は他者を意識することです。特定の仲のよい人だけを意識するのは動物的な社会の段階です。知らない人に対してもそれなりの気配りが必要です。それがマナーでありエチケットとして形作られています。その上で名前を知り合うことで関わりが始まります。浅い関わりから深い関わりまで多様な関わりを持つようになったとき,ちゃんとした社会性ができあがります。
 古来からあるいろんな人間社会の規模を比較研究した人がいて,人が生きていく基本的な対人関係数は150人程度であると結論を出しています。つまり,私たちは150人との日常的な関わりを持つことで安定した社会生活が営めるのです。今,私たちは日常的に150人との生活を共にしているかどうか,一度チェックしてみることが必要でしょう。名前と顔を思い浮かべながら,温かな関わりを楽しむことにしましょう。

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(2006年08月20日号:No.334)