《楽しみは 本との出会い 旬のとき》

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 本屋さんの店頭でたまたま目について買い求めた本の中に,意外とおもしろいと感じるものがあります。巻末に掲載されている出版案内に同じ著者の本があると,読んでみたくなります。他の出版社の本からも探します。ところが,少し前の既刊書は本屋さんに無いことがほとんどです。大きな本屋さんに行けばいいのでしょうが,距離的にちょっとばかり遠いので,すぐにというわけにもいきません。何が何でもというほどの熱意はなく,機会があればという程度です。
 本との出会いはいきなりやってくるように思われます。しかし,これまでの読書歴を振り返ってみると,出会うべきときに出会っているのではないかと感じられます。本との出会いは本と読者の共鳴だと考えるべきでしょう。気が合わなければ出会いとはならないからです。出会いが楽しいものであれば,もっと付き合ってみようかという気持ちが湧いてきます。著者の思考との接点が何かよいものに発展するかもしれないと期待されます。
 ちょっと気になって買い求めてはみたが,数ページ読んでみて何か違うと感じられて,積ん読になっている本もあります。ところが,何年かして開いてみると読み進んでしまうという本もあります。著者と読者の波が一致するときが来たということです。あるいは,若いときにおもしろいと思って読んだ本が,今読むと大して興をそそらないということもあり,出会いの旬が過ぎてしまった経験もあります。
 著者に限らず人との出会いには時機があります。人生の各時期にそれぞれ出会いたい人に会えていけばいいのですが,現実には,会いたくなかった人や,もっと早くに会っていれば良かったのにという人がいるものです。運命のいたずらとあきらめるのも必要ですが,相手にばかり求めていては埒があきません。自分は相手にとって出会いたい人であったかという点に留意することが大事です。会いたい人に出会うためには,相手にとって自分が会いたい人であるかどうかが決め手になります。
 会いたくなかった人に会うときは,その原因を自分が抱えていることになります。用心し弱みを修復しておくことが,運命のいたずらに翻弄されないために自分にできることです。会いたい人との出会いも,自分の人間性の向上を普段から図っていれば,ちゃんとした時機に出会えるようになるはずです。すべてが計算通りにはいかない世の中ですが,自分にできることだけはちゃんとしておくようにすれば,それから先のことは悔いることもないでしょう。
 縁は異なものという言葉があります。何とはなしに出会った人と,その後深い関係を持つ状況になることがあります。本当の出会いの予兆とでも言えるのでしょう。それをそれと見極めることができたら,人との関係はもっと円滑に進むのかもしれません。何か感じるものがあれば,慎重に誠実に付き合ってみるのも楽しみです。ところで,連れ合いとの出会いはどうであったのか,年齢時々に出会い直していると結論はいつも先送りです。

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(2006年09月03日号:No.336)