家庭の窓
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場の雰囲気に飲まれて,つい調子に乗ってしまうことがあります。後になって,少しばかり後悔をすることもあります。力み過ぎたせいで,余計な荷物を増やしてしまうことになります。不当な押しつけ販売の手口にも似ていますが,会社やその他の共同行動においても起こります。挑発されて頭突きというジダンの例もあるように,関わり合うことがもたらす気持ちの熱さに振り回されます。
ある活動について協議をしているとき,メンバーの意気が上がり,やろうという気運の高まりにつり込まれて,活動の規模や内容を膨らませてしまいました。活動設計図の書き直しが必要になり,それを考案しなければならなくなりました。何とかなるだろうと安易に思っていたことが,ヤレヤレという負担に変わるのに時間は掛かりません。それでもいったん言い出したことは翻すわけにはいきません。案外とそんな行きがかりの男気が社会的な物事を動かしているのかもしれません。
博多のまちには山笠の伝統行事があります。それを維持しているのはノボセモンたちです。祭りにのぼせ上がっている男衆とそれを支える女衆です。祭りの後はヤレヤレという気持ちが襲ってくるかもしれませんが,精魂込めたという満足感があるはずです。年中のぼせているわけにはいきませんが,何かことを行う場合には,ノボセモンが頼りです。一気にやり通す爆発力が必要だからです。それだけに,その勢いを上手にコントロールする冷静さも欠かせません。静かな闘志というのがあります。ガアーッと燃え上がる闘志と,ジワッと燃え広がる闘志とのコンビネーションが社会活動を生み出します。
夫婦の場合も,一方がカッとなって燃えるとき,他方がクールに前後を取り仕切っていくことになります。状況に応じて夫婦がそれぞれにいずれかの役割を阿吽の呼吸でやり遂げているとき,家庭は円満に動いていきます。このペアのコンビネーションがすれ違うと,することなすことがチグハグになっていきます。お互いが今どのモードに入っているかをよく見極めていく必要があります。それは気持ちが寄り添っていなければできません。漫然と見ているのではなく,背中でも感じられるように気遣いをしていれば,簡単にできます。
ところで,最近はこのカッとなるということが危ないことに思われています。カッとなって人を破滅させることに向かうと事件となります。カッとなること自体は能力を最大限に発揮することなのですが,その向かう先の選択が間違っています。人を生かすことに向けられなければなりません。仕事に燃える,正義に燃える,大切な人のために燃える,そんな命の燃焼をしたいものです。
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