《楽しみは 唇開く 歌がある》

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 1人で道を歩いているときや,何か単純な作業しているとき,気がつくと声には出しませんが歌を歌っています。当然これまでの人生の中で覚えてきた歌なので,年甲斐もない歌もあります。ジャンルには頓着しませんし,歌詞をいい加減にしか知らない歌,クラシックのようなメロディだけの曲もあります。手当たり次第というよりも,口当たり次第というところでしょうか。
 何の歌かが不意に意識に登ってくると,いつ頃覚えたものかが蘇ってきて,その当時の他の歌をメドレー式に思い出そうとしたりしています。古い歌は歌詞がおぼろげになっており,いい加減な歌詞を付けて歌ってしまいます。誰に聴かせるのでもなく,自分1人で悦に入ればいいので,一向に気にしていません。身体の動きがリズミカルになっていることに自然に反応しているようです。
 若い人は歩きながらイヤホンで音楽を聴いているようですが,そこまでのめり込もうという気にはなりません。別に良い悪いということや好き嫌いということではなくて,単純にそのような風俗に育ってこなかったというだけのことです。宴席でカラオケをバックに情感豊かに歌いあげる今の状況と,手拍子で調子外れの蛮声を張り上げていた昔の状況との違いなのかもしれません。
 音楽が仕事の伴奏になっていた労働歌が民謡になっています。今は音楽はバックグラウンドミュージックと呼ばれ,環境の背景になっています。仕事をする人の応援歌ではなくなりました。行進曲のリズムに身体が反応するというようなものとは違っています。音楽は癒し,その一面がクローズアップされているようです。
 前にもこのコラムの中で触れたことがありますが,クローズアップの歌が主流になっているそうです。昔は歌の歌詞が「みんな」を見ていましたが,今は自分1人を見る視点になっているということです。穿った見方をすれば,歌まで閉じ籠もり状態になっているということです。歌は気持ちの発露であると考えれば,気持ちが自分だけに向いていると言えなくもありません。
 もちろんいろんな歌があって,状況に応じて人の心の喜怒哀楽に寄り添ってくれます。歌を友とすること,聴くのではなく歌うことに歌の本質があります。「唇に歌を心に太陽を」という言葉を小学生のときに習いましたが,普段に歌を口ずさむようでありたいと思います。どんな歌が自分から飛び出してくるか,楽しむことにしましょう。

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(2006年09月24日号:No.339)