《楽しみは 触れ合う距離を 変えてみて》

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 SNS? アルファベットの略語は意味不明です。Social Networking System のことです。コンピュータネットの一つの形態です。会員制で紹介がないと入れませんが,最近増えているそうです。友だちの友だちという関係で,友人ネットができたり,趣味や関心で新しいつながりが生まれているようです。子育てママ同士の情報交換などもできるので,ネットになれている若い人は重宝しているということです。また,不特定の人は入ってこないので,安心もあります。
 コンピュータが登場した頃,同じ形のシステムは一部の人の間でできていたので,全く新しい機能を持つものではありませんが,パソコンを扱える人が激増したことから,再登場して普及してきました。
 識者は現代社会の接触飢餓に応えるシステムと評価しているようです。住んでいる近くに友だちがいない,気軽に話せる人づきあいのネットがないので,SNSを井戸端に見立てているのでしょう。パソコンを間に入れることで,自分のペースでつきあいができ,さらには丸裸にならずに済むという感覚もあるはずです。
 触れ合うという言葉がすっかり実感を失ってきました。現代人の肌感覚がライト志向になっていることから見れば触れるという行為は生々し過ぎるのでしょう。べたついた関係はごめんだということです。しかしながら,その感性が接触飢餓を生みだしています。親子や夫婦がべったりと触れ合うことで,周りの人とのふれあいを適度な形で維持することができます。触れ合いの物差しがべったりという基準点を失って不定になっているために,感性が程度を判定できず落ち着かなくなっています。
 人は他の人と場所を共有するときには適当な距離を置きます。例えば,見知らぬ人と乗り合わせるときには,離れた位置の席を選択するものです。一方,親しさと比例して,その対人距離は接近していきます。その距離感という現実が,一方で親しさを増幅することになります。ところが,ネット上の親しさは,その距離感がパソコンの画面上で途切れてしまい,なんとなく画面の距離にあるような感じになります。その擬似的な距離感を現実と錯覚するところに,脆さがあり,危うさが生まれます。
 言葉だけの親しさは,思いこみに支えられています。言葉は受け取る人の感性がまとわりつくことで意味が発生します。声や表情という副情報によって意味の確度が伝わることを忘れてはなりません。同じ言葉でも,その声の調子で意味が逆転することはよくあることです。文字情報は情報としてはとても不完全なので,余程注意しないと誤解を招きます。趣味を同じくするといった限定された部分でのみ付き合うようにすることで,その曖昧さを減らすようにするしかありません。
 実際の触れ合いを大事に,そこからネットをはじめていけば,間合いの取り方に迷うことはなく,人づきあいを楽しむことができるはずです。

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(2006年10月01日号:No.340)