《情報を 拾えば解ける 無関心》

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 人と話をするのは難しいものです。気心の知れた連れ合いとでも話が弾まないことがあります。今年の文化祭で連れ合いはご縁があって仲間とモーニング娘の曲の踊りを披露する羽目になりました。友人が撮ってくれたビデオをあれこれ思いながら品定めしています。やり遂げた思いが見えてきます。
 私もはじめての再生の時は練習の成果を共に楽しみましたが,それほど深い関心はないので繰り返して見るほどのことはしていません。もっとつきあって気の利いたことでも言ってやれたらいいと思うのですが,からっきし踊りには不案内なので言葉がありません。
 「好きこそものの上手なれ」と言われています。しかしはじめから好きなことは無いでしょう。好きも嫌いもなくて,ちょっとしたきっかけではじめたら,意外と楽しくて好きになるという経過を辿るのが普通です。何でもやってみることです。連れ合いのちょっとした楽しみが増えることはいいことと喜んでいます。きっと友だちとの話題も増えたことでしょう。
 自分が関心のあることについて語っても,関心のない人にはほとんど通じません。ママが子どものあれこれをパパに向かって話しても,関心がなければ上の空です。意識して継続的に情報を蓄えていれば話に乗れますが,素通しの耳ではメモリーがありませんから処理不能で反応無しです。張り合いのない,しらけたムードに落ち込みます。
 話の通じないとき,何事もない日常生活では愚痴で済みますし,話題を変える手だてもあります。ところが,ある程度の責任を伴う場合には,無関心では通りません。会議などで出席者の話がテーマから逸れることがあります。何か一言発言しようとする意気はいいのですが,話が収まらなくなります。
 多くの場合,我田引水になっています。話を自分の関心のある所に引き込んでしまいます。関心がずれているので,とうとうと話されるほど遠ざかっていきます。もちろん司会者がはじめに方向付けをしておかなければなりませんが,一方で参加者もある程度の予備知識は仕込んでおくのがエチケットでしょう。
 何事かをしようと人の知恵を集めるとき,関心の強かった人とそうでない人の間には話の進み具合にギャップがあります。持っている情報の差です。議論を重ねるという作業はギャップを埋めていくことですから,必要な情報を選び抜いて共有できるように運ぶ手間が大切です。少しでも情報を知れば,関心を持てるようになるはずです。

(2000年12月03日号:No.35)