《楽しみは 雑多な情報 整理する》

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 ある日,通い慣れている道路の一角が空き地になっていることに気付きます。以前には確かに何かの建家があったはずなのですが,どんな家であったのか,店であったのか,全く思い出せません。ただ通りすがりにある何の関係もない建家だったので無理もないのですが,それでも見ていたのに見えていなかったようです。
 歩いていると挨拶をされることがありますが,どなただったか思い出せません。そんなとき,どこかであったことがあるという記憶があれば,なんとか思い出す手がかりになります。その人が居る場所に結びついて覚えているからです。制服を脱いだ人に会うと,分からなかったりするのも同じです。どこそこの誰それ。場所と名前,それが自己紹介になるのも,人を認知する最低限の情報だからです。
 記憶に残すためには,連想のネットワークを作り上げる必要があります。関係づけて覚えるということです。一つのことをそれだけで覚えることはできません。電話番号を尋ねて,プッシュし終わると同時に忘れてしまいますが,一時記憶は関連づけがなされていないからです。見聞きしたことが記憶している何かと結びつけられたら,どこかで見聞きしたという程度の記憶がなされます。通りすがりの風景は,記憶処理が施されていないために,思い起こす縁が存在していないことになります。
 最も手近な記憶法はメモをすることです。その時点では特別に必要性がない情報であっても,状況の変遷に伴って必要になるときがやってきます。メモをする際に気をつけておくことは,検索可能な状態にしておくことです。ファイル形式で分類するのが主な整理作業ですが,全体索引や一覧表の形に集約しておきいつでも目に触れるようにまとめた情報が不可欠です。メモを書いたはずだがどこにあるか分からないでは,用を足しません。時系列に沿って一括してまとめておけばいいでしょう。
 建家については地図を見れば分かります。組織に関連した人物は名簿を参照すれば分かります。予定は手帳を見れば分かります。近頃は携帯電話にも情報が記録できます。情報の活用についてはそれぞれが手慣れたやり方を使っているでしょう。大事なことは,面倒がらずに,そのときその場ですぐに記録することです。さまざまな分野のちょっとした情報が貯まってくると何かしら楽しみにもなってくるから不思議です。

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(2006年10月29日号:No.344)