《楽しみは 人の意欲に 出会うとき》

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 かなり前のことですが,福祉関係の番組を見ていたとき,「動けるから動くのではなく,動こうと願うから動く」という言葉が聞こえてきて,少し気になったのでメモを取っておきました。身体を動かせなくなった高齢のご婦人がいてほとんど寝たきりになっていました。あるとき部屋を変わりましたが,ベッドの傍の窓を開けるときれいな庭が見えます。その景色を見たいと思われた婦人は,やがて自分で態勢を動かすことができるようになったということです。その事例に対するコメントでした。
 生きようとする願い,意欲によって生きる。そういう不思議さが人にはあるようです。極端な精神論ではなく,気持ちが伴っていなければ何事もできるようにはならないということです。どうせできないだろうと諦めては万事休すです。
 何事かをしようという話し合いの場に出たり,役目柄の背景とする立ち話をする機会があります。そんな折に,いささか対応に困る場合があります。話の流れに対してケチを付けるような内容の発言が出てきます。「そんなことをしても埒があかない」,「根本的な解決にはならない」,「正論だが実行不可能である」,「善意に頼りすぎている,人は欲得で動く」,「関わる人にそんな力は期待できない」,「どうせつぶれるに決まっている」など,話の腰を折ってしまいます。
 揚げ足を取ることで,自分はすべてをお見通しという自慢をしたいのでしょうか? そんな知恵の使い方は間違っています。知恵とは何事かを為すために使うものでなければなりません。いろんな不都合があること,困難があるからこそ,それをどう乗り越えていくか,その気持ちの持ちようが新たな知恵を生み出します。
 この中途半端な知恵者は世間からインテリと目されている人に現れることが多いようです。分かっているという自負心が分からないことがあるという謙虚さを排除していきます。分からないから考えようという前向きな意欲を発揮すべきなのです。未熟な人なのでそれなりの対応をすることで済ませています。いずれ熟すのを待つばかりです。
 こうして人のあれこれをしたり顔をしてあげつらうのもあまり感心したことではありません。言葉はブーメランのように自分にはね返ってきます。自戒としておきましょう。人は相互に自分の鏡になってくれます。有り難いことと感謝するばかりです。
 人間模様を見ていると,健気に生きている中に潜む弱さや悲しみ,それと同居する喜びや安らぎが浮かび上がってくるようで,それなりに楽しくなってきます。

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(2006年11月12日号:No.346)