《楽しみは 考える種 拾うとき》

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 NHKの知る楽選「失敗の研究」という番組で,安全=危なくないと考えて方策をひねり出すようにすればよいということを聞きました。失敗から学ぶということは,失敗しない条件を見つけることであるという理念がうかがえます。逆転の発想というものでしょうが,一つの考え方と受け止めました。似たようなことは勝負の世界でも聞きます。負けないようにすれば勝てるという考え方です。
 対立する二つの価値の一方を求める場合,他方を封じればいいという考え方は,実践上は有効になります。健康でありたいと願うのなら,病気になるような原因を遠ざけておけばいいのです。安全運転をしたいのなら,事故に結びつくようなことをしないようにすればいいでしょう。仲良くしたいのであれば,ケンカになるようなことをしなければ済みます。ただし,このやり方はマイナスの価値を封じているだけで,ゼロの状態に止まることになります。正の価値を産み出すことにはなりません。死んでいなければ生きていることになるのかという究極の状況もあります。
 もちろん,危険がなければ安全,病気でなければ健康,その最低限の状態が実現されることは社会的に十分意味のあることです。それでも,人の性として,より安全,より健康ということを求めるようになると,考え方は複雑になり実現も困難になります。病気でないから取りあえず健康というのではなく,活力に満ちた健康というものを想定することもできます。身体を鍛えるという手段が考え出されます。
 人はいまだにマイナスと見なされる価値を克服できてはいません。悲劇は再生産されて絶滅することはありません。その現実を見過ごせない状況では,マイナス価値の削減に向かう考え方が廃れることはありません。ひ弱な人間は自然及び人為の環境に潜む大小のトゲに傷つきます。それから逃れる術を考え続けなければなりません。
 最近のように人口空間で過ごす暮らし方になると,人の考察力の不足や限界が欠陥品や組織不良となって他者を襲うことが起こるようになります。マイナス価値は意識的であろうとなかろうと人が生み出しているという様相が見えてきます。人災と不可抗力の間には,考えるという営みを向けるべき知の闇が横たわっているのです。悲劇の発生を仕方がないと諦めてしまえばそれまでのことですが,それでも何とかならないかと考えるのが人に備わった資質です。
 豊かな社会になったようですが,そこかしこにあるマイナスの淵が消滅しているわけではありません。よく見てきちんと聞いて入念に観察し,真剣に考えて,適切な対応を知恵として蓄積し続けるしかありません。マイナス価値の発現を封じるために何ができるか,考える種は尽きないようです。
 連れ合いと仲良く添い遂げられるか,それは別れにつながる溝を作らないことでしょう。どうすればいいのか,考えてみるのも楽しみです。

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(2006年11月26日号:No.348)