《楽しみは 人の思いを つなぐとき》

Welcome to Bear's Home-Page
ホームページに戻ります

家庭の窓にリンクします! 家庭の窓

 人の気持ちは不思議なものです。ある医師の姿を追ったテレビ番組がありました。病気で寝込んでしまった妻が,看病してくれる夫に感謝をしています。でもそれを口に出すことができないでいます。在宅診療に訪れた医師との会話の中で,夫にどれほど感謝しているか,自分が歯がゆいと思っている以上に家族が歯がゆいと持っているだろうと心遣いをしていることを穏やかな笑みを添えて話します。いいたいことが言えたという晴れやかな表情が輝いています。もちろん,傍で夫が聞いています。
 面と向かって感謝をすることは,家族の間では特に難しいものです。つい言いそびれてしまい,小さなすれ違いを生むことがままあります。ちゃんと言えばいいのに,それは分かっているのですが,勇気のいることです。そんなとき,第三者が介入すれば,スルッと道が通じてしまいます。家庭では子どもを介してという伝達回路が使えます。嫁と姑の間であれば夫や舅が間に入るということになります。
 世間には噂というネットワークがあります。情報機器の発達により,噂が報道に格上げされ,根も葉もない中傷や誹謗は匿名によるネットにばらまかれて,蔓延っていきます。噂という字は尊い口と書きますが,実状は卑しい口の方が合っているようです。人が集まれば誰それの噂話になりますが,全く聞いていません。ほとんどが本人が聞けばいい気持ちにはならないことだからです。陰口なのです。他人事ではありますが,噂話に嫌悪感さえ感じます。
 感謝や褒め言葉であれば,小耳に入れておきます。必要な場合には,それとなく本人にほのめかすこともあります。褒め言葉の噂はなかなか本人には届かないし,75日も経たずにすぐに消えてしまうからです。自分を認めてくれる人がいるということが確かめられたら,それは何よりの励ましになります。
 人間関係の社会化は,二人では不可能です。三人以上が不可欠です。お互いに他の二人を結びつけ励ますとき,社会が成り立ちます。ところが,その第三者になるという気持ちがすっかり消えて,誰とでも直接の関係を持とうという傾向が強くなっています。誰もが主役になりたがっています。世間の人々は,4番打者ばかり集めてガタガタになったどこかの球団のような勘違いに気付いていません。核家族が集まっただけでは地域社会にならないのも,同じです。結びつける人がいなければ,バラバラなのです。
 人と人を結びつける,それは大層なことではありません。人が結びつきを深めるように,お互いの気持ちを代弁するだけでいいのです。直接の対話は完全ではなく,感情が交じるために,生々しすぎて,真意が伝わらない場合もあります。その齟齬がつながりを傷つけないように,第三者が補足をすれば,社会は丸く治まります。知らないところで補い合える仲間がいると思えば,世間の温もりが見えてきて楽しいものです。

ご意見・ご感想はこちらへ

(2006年12月17日号:No.351)