《楽しみは 幸を求めず できること》

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 チャップリンの娘さんが父から,「風が吹いて飛ばされた帽子はきっと誰かが拾ってくれる。人は優しいのだよ」と聞かされたことを語っていました。人が難儀をしているとちょっと手伝ってあげたくなる,それが普通の人たちです。その信頼があるから,人は安心して暮らしています。
 この一年,人様にお世話になった回数と人様をお世話した回数のいずれが多かったのか,収支計算をしようとしても,記帳しているわけでもないので,勘定不能です。はなからそんな計算をするつもりはないので当然ですが,ただお世話になったことは忘れないようにしています。でも,気がつかないところでたくさんのお世話を受けているのでしょうが,少しでもお返しできたらと思うばかりです。年の終わりは我が身を振り返る節目という気分になります。
 お正月を迎える準備が整いました。年忌法要を終えて仏様から神様に成り上がったご先祖が子孫の館に降臨し,共に食事をすることで新しい年を平穏に始められる感謝を表す日です。ご先祖が託してくれたから命を受け取ることができました。この命をさらに次世代につなげることで,恩に報いることができます。一人一人が大切な命を預かっていると思うから,人はお互いに助け合っていきたいと願っています。温かな人の世話を受けて命は輝いていられます。
 お世話を受けると,アリガトウの言葉が出てきます。初詣に出かけて,お賽銭を上げて,神様に感謝を告げます。願い事をするのが普通のようですが,本来は神に明日の幸を願うのではなく,今日までの幸に感謝するものだそうです。ご利益を願う浅ましさは神に対して失礼に当たるのでしょう。神の加護を信じることが素直な心と思われます。
 ご縁のある人に対して,アリガトウばかりでは済みません。チャップリンの言葉を「風が吹いて飛ばされた帽子を見たら拾ってあげよう。あなたは優しいのだから」と変えてみたくなります。アリガトウと言ってもらえるように,わざわざ誰かのためにしてあげることによって,たくさんの人からのお世話に幾ばくかは報いることができるような気がします。ささやかではあってもそのように願うことで心穏やかになれると思えば,人づきあいの煩わしさも楽しくなってきます。

この一年のご厚誼に御礼を申し上げます。皆様の幸せをお祈りいたします。

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(2006年12月31日号:No.353)