《楽しみは あれやこれやの 面倒さ》

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 手軽に済むということが利便さの要素です。携帯電話はいつでも何処でも通話ができるという利便さに重宝しています。ただ,実のところ家族内の居所確認と都合の連絡という使用が主で,持たされているというのが本当のところです。家族以外は数人しか番号を教えていないので,ほとんど掛かってくることはありません。
 電話はあくまで電話であり,それ以上のことは期待していません。カメラ付きやお財布ケイタイ,それらの機能についてはそれなりのちゃんとしたものを別に持てばいいと思っています。過度の利便さは間に合わせという感じがしているからです。似たようなことで,自分の身を飾るのにブランド品で手軽に飾ろうとするのも,身につかないので考えたこともありません。本を買った方がうれしいという変わり種です。
 利便さには一極集中という形式があります。家庭での暮らしでは電気機器に依存する比率が増えてきました。昔のように停電することがほとんどない状況では,それも当然の流れでしょう。最近,火を使わない加熱機器として電子レンジに続いてIHヒーターが使われるようになりました。火力という領域も電力に変わりつつあります。電力会社からの勧誘もあります。便利だとは思いますが,ガスという別系統を意図的に残しています。豊かさは多様さ,選べるということだからです。停電という非常時を想定しておく意味もあります。
 会議にしても大まかな議題をなぞるだけで,お手軽に結論を出そうという風があります。例のタウンミーティングのように,シナリオが描かれて,やらせが行われるのも,見てくれの形を整えておくだけという魂胆が覗いています。当然のこととして結論は抽象的で具体的な行動には程遠いものになります。起承転結という文章構成になぞれば,起承止まりです。議題を説明した段階でよしとしています。
 十分に時間を掛ける暇がないという忙しさがお手軽な始末に結びついています。じっくりと考えることをしないから,あれこれやっているようで,結局何も実を結ぶことはありません。一夜漬けの試験勉強と同じに,形が整えば内実は問わないといういい加減さが大手を振っているのはいただけません。自分で考えて自分で結論まで導くという手間を掛けなければ,自分にとってよい結論は得られません。それができないとき,やるべきことはやったという充実感もないはずです。
 暮らしのあれこれはじっくりと時間を掛けて,育て上げるつもりで取り組んだほうが良い結果が出てくるものです。それは誰もが分かっていることです。現実に流されて致し方ないと諦めているのでしょうが,現実を改める努力をする方が価値のあることと考え直すべきです。少なくとも,時代を導く立場にいる年配の世代は,本当の仕事のやり方を若い世代に伝えていく責任があります。
 丁寧にものごとを処理していけば,面倒に見えることも楽しくなってくるでしょう。あれやこれや面倒な状況から逃げずに,いろいろなものと付き合う姿勢が大人の豊かさの有り様です。

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(2007年01月28日号:No.357)