《楽しみは 大事なことを さりげなく》

Welcome to Bear's Home-Page
ホームページに戻ります

家庭の窓にリンクします! 家庭の窓

 連れ合いはリウマチの症状で手足の関節が痛むようですが,薬で軽減しています。日常の立ち居振る舞いにはさして支障はないようですが,し過ぎると痛みを漏らしています。食事の用意は任せきっていますが,後片づけは引き受けています。洗い物は鍋などを片手で抱えるために結構力を使います。連れ合いにはさせられません。家事にはかなりの力仕事が含まれています。そんな部分は「あなた」の呼びかけで出番が回ってきます。パソコンの前から出張することになります。
 連れ合いが何をしているか,その気配を感じていないと,時々無理をしていることがあります。いちいち呼び立てるのを控えているようです。そんなときは押しかけることになります。傍に居てやれるときはいいのですが,いつもというわけにはいきません。無理をしていないか気がかりで,会ったときに様子をうかがっています。してやれることといっても,共同生活ですからわがことでもあるのでしていますが,余計な手出しにならない程度に抑えています。
 昔から夫唱婦随と言われますが,ほとんど婦唱夫随の状態です。夫としての威厳など全く興味がありません。威厳が連れ合いを労ることであれば話は別ですが,普通にはそうではなく,夫のわがままに陥りやすいものだと思っています。深い愛情表現という見方もありますが,夫婦の間ではもっと分かりやすい表現の方がベターです。言わなくても分かっているだろうという思いは,大概が手前勝手な思いこみに過ぎません。曖昧な表現は不安や疑いを招き入れて,関係にヒビを入れます。確実に伝わる表現をしなければ大事な関係にはなっていきません。
 このような夫婦のあり方は,若い人たちには無理かもしれません。お互いにしてもらうことしか関心がないように見えます。相手が自分の期待している通りに動いてくれないと,分かってくれていないと責めるばかりです。夫婦はお互い相手のために何ができるかを考えていればいいのです。してもらうことを考えるのは子ども時代で卒業すべきです。夫婦は大人の関係だということを弁えていなければ,夫婦は成り立ちません。
 何も難しいことではありません。愛とは与えることです。「愛されている」という言い方をしたときに,既に愛は裏返しになっていると考えなければなりません。愛には「愛している」という言い方が相応しいのです。求める愛は苦しく,与える愛は楽しい,そう思っています。

ご意見・ご感想はこちらへ

(2007年02月04日号:No.358)