《楽しみは 一期一会の 暮らしぶり》

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 パソコンのデスク周りがいろんな物であふれてきます。あれやこれやを手近に置こうとするからです。使い終われば片付ければいいのですが,その都度取り出すのも面倒という思いが抜けません。それでも容量には限りがあるので,元に戻さざるを得なくなります。ところが,その先もあふれてきます。生きているといろんな物が必要になり,追加されていき,増えていきます。用が済めば廃棄するというわけにもいかず,取っておくことになります。ところが次の出番が無いということもあります。
 暮らしの灰汁といえばいいのでしょうか,家の中には使わないものがそこここにあります。押し入れの中には,数年使ったことのないものがあふれています。いろんな飾り物や置物も並んでいます。旅先で買った物やお祝い事での頂き物など,処分することも躊躇われます。誇りを拭うという手間も掛かります。大きな場所を占有する洋服類という問題もあります。季節の物だけならまだしも,流行という移り変わりが常に今風という圧力になって,増やす向きに働きます。これは止まるところがありません。年齢的に合わなくなるという手放すことへの風向きもありますが,そこにもったいないという壁が立ちはだかります。
 本や書類の積み重なりも侮れません。いつまでも保存しなければならない物ではなく,用が済めば廃棄しても構わないはずです。ところが,時として古い資料や参考図書が必要になることがあり,倉庫をふさいでいきます。いつか使うことがあるだろうというかすかな利用度が無視できません。
 特別な事情も重なります。長男として亡くなった親のあれこれを引き継いだために,荷物が増えているということです。親のものということで,あっさり捨てるわけにはいきません。想い出というしがらみがあるからです。大きな家具類は物理的に入らないということで廃棄しましたが,物類はあちこちに収容しています。使える物は使っていますが,サイズや好みの点などから,いつまでもお蔵入り状態になっています。
 生きるということは,食物の流れと同じに,いろんな物が通り過ぎていくことです。利用が済めば去っていくという風にできればいいのですが,どうしても灰汁のように残ってしまうものです。静かに生きているだけなら,ほとんどの物が使わなくても済んでいます。想い出の品といっても,想い出を持っていれば,品はなくても済みます。忘れてしまう程度のことなら,生きていることにはさして大事ではないでしょう。もちろん安らぎという意味はあるのでしょうが,それも記憶という所に収めておけば用は果たせます。
 そろそろ決断をしていく時期かなと感じ始めています。物へのこだわりが薄れてくるのは年齢のせいかもしれません。シンプル・イズ・ベスト。身の回りに目を向けて,暮らしの有り様をあれこれと自問自答しながら考えるのも,楽しいことです。

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(2007年03月25日号:No.365)