《楽しみは 縁を大事に 報い得て》

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 「失敗学実践講義」(畑村洋太郎著)という本を読んでみました。世間で起こる事故や不祥事という失敗の情報を共有することを勧める著作です。進歩発展の鍵が失敗の中にあるという思いを持ってきたので,目にとまりました。ある意味で我が意を得たりという読後感です。
 高校時代に進路を選択する時期,家業である医者を継がずに,物理学の道に進むと決めていました。将来のことを父と話していたとき,「成功する必要はない。失敗することも大事なことだ。おまえが失敗したら,後に続く者はおまえの失敗を見て,同じ失敗をしなくて済む。成功は多くの失敗の上にある。おまえの失敗は誰かの成功の役に立てる」と言ってくれました。なぜかそのことがずっと頭に残っていました。幸か不幸かこれといって失敗もなく成功もなく,ここまでは過ごしてきました。多少の悔いが残ることはありますが,それは誰しものことでしょう。
 ところで,上記の書籍の中に,専門家は細部にこだわって視野を狭めるために,専門の隙間から失敗が生じるといった趣旨のことが記されていました。専門の狭間を見る大きな視野を持つことが失敗をなくすことになるという指摘ですが,それは専門家には不向きかもしれません。周りが見えないから専門家になれるのですから。
 理系の目で物事を見るとき,ある法則論理が成り立つためには,その環境に一定の条件が成り立っているという前提があります。もちろん,その前提が変われば論理も変わります。つまり,こうすればこうなるという理屈は,ある条件の下でしか通用しないのです。
 因縁果報という言葉があります。因果には縁という条件と報という波及効果が伴っていると考えればいいでしょう。因果だけを考えてはいけないという古い教えです。専門家は因果にこだわるあまり,縁を見過ごし,報を見逃すのです。
 失敗が起こるのは,縁のミスマッチが因果を通して無視できない報となるためでしょう。因果の外での失敗は,専門家には見えにくいものになります。取るに足らない小さな見落としと思われることが,大きな報いとなってしまう,それが失敗の構図のようです。ねじ一つ,電気配線一つ,そんな本質から遠い部分への油断が惨事につながっています。
 暮らしの中でも同じことが言えるでしょう。仕事に忙しいからと家庭における雑事を疎かにすると,縁で結ばれた仲が縁の不手際のせいでこじれていくという報いを招きます。思いやりというのは,しなければならない因ではなく,縁をきちんと結ぶためにすることです。因縁が揃うことによって,果としての穏やかな暮らしと愛という報が得られます。
 失敗しないためには,ささいなことにきちんと向き合って気配りをすることです。何事にも手抜きをしないでまじめに取り組んでいく,甘えることなくできることを出し惜しみしない,そうすれば後悔するような失敗は避けることができそうです。
 それでも起こってしまう失敗には,逃げずに正面から向き合って,修復をはかればいいでしょう。初期の失敗から逃げるから,手がつけられない大きな失敗に見舞われることになります。失敗を怖がる必要はないのです。成功の種と思えば,楽しくなってきます。

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(2007年04月22日号:No.369)