《花が咲く 季節めぐって 人も生き》

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 勤勉であることは美徳でした。勤勉であると時として割を食うことがあります。貧乏暇無しとか,器用貧乏とか,真面目であることが格好良くないし,損を被るといった風潮です。集団で仕事をしていると,勤勉な人とそうでない人に分かれます。身体を使わない方は要領がよくてテキパキ捗っていたのならいいのですが,どうも無自覚的にずる賢く見える場合があります。
 集団生活に関して「2・8の法則」があると言われます。アリを観察すると,2割のアリが勤勉で,残りの8割はただウロウロしているだけだそうです。
 園児達を観察したテレビ番組がありました。先生に遊び道具を片付けるように言われた園児達は,いっせいに取りかかりましたが,しばらくすると2割の子が勤勉に,残りは遊び出してしまいました。そこで,先生がその2割の子を別の用事で連れ出すと,遊んでいた8割の子の中から2割の子が片づけをはじめ出しました。
 集団では「私がしなくても」という思いが勤勉さに水を差します。少しでも楽をしたいという弱さなのでしょう。誰でも持っている弱さだから,それを抑え込んだ勤勉さが美しかったはずです。集団は自分の楽を割引した人によって支えられています。「自分がしなくて誰がする」と考えた人が社会を引っ張って来ました。勤勉さが風前の灯火となったら,社会の根底はボロボロになるでしょう。
 ミツバチは勤勉に密を集めます。オーストラリアに行った日本人が花いっぱいの大地を見て,養蜂を思い立ちました。初年はうまくいきましたが,次の年から失敗しました。ミツバチが密を集めなくなったのです。あれこれ悩んで見つけた原因は,一年中花が咲いているということでした。いつでも花が咲いているから,蜂は苦労して密を集める必要が無くなったのです。
 豊かな社会は勤勉である必要性を奪ってしまいました。いつでも好きなだけ必要なものが手に入るからです。勤勉さや真面目さをあざ笑っている若者世代は豊かさの落とし子でしょう。それが時代の求めてきたことだとしたら,過ぎてはことをし損じるという反省が大人に出てもよい頃です。
 子どもには苦労をさせたくないと庇えば庇うほど,子どもは気持ちの虫歯を増やしていきます。歯を食いしばって真面目にがんばろうとしたとき,痛みを味わう羽目になります。若者らしい挑戦とは真っ正直な勤勉さによって密を集めようとする行為と同じです。高価なブランドが花に見える目くらましは,密を見失っている8割の迷い蜂なのかもしれません。

(2000年12月17日号:No.37)