《楽しみは 人の振り見て 考える》

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 連れ合いが新聞を読みながら憤慨しています。中学の英語教師が物産展で総額800円程度の弁当3個を万引きして,市教育委員会により自宅謹慎処分を受けたという記事を話しながら,処分がそんなもので済むのかという憤慨です。県教育委員会の最終処分が控えているようですが,納得できないようです。万引きと言うから軽く見てしまうので,泥棒と言わなければならないという持論を持っています。仕事として指導している子どもたちが,万引きをちょっとしたいたずら程度にしか思っていないという気になる経験をしているせいです。
 悪いことに対するけじめがないと,ずるずると深みにはまってしまう弱さを人は持っています。嘘つきは泥棒の始まりといわれてきたように,一線を越えてしまうと道を誤ります。そんな目に遭わないために,人はけじめを守る努力をし,自分に対して厳しく処しています。それができている人は,けじめを見失っている人を見るとつい腹が立ってしまいます。憎いのではなく,悔しいのです。自分にもできていることが,どうしてできないのかと思ってしまうのです。
 いけないことをしでかしても,償いができる場合には,出直しという許しを与えることができます。そのときでも,自らに対するけじめとして罰を受ける必要があります。それが償いの第一歩になります。そのような段階で道を修正できれば幸いですが,行くところまで行ってしまうような場合は,償いができなくなります。世情を見聞きするとき,償えない過ちが頻繁しています。動機として遊ぶ金が欲しかったといったふざけたことを言える無責任さは,信じがたいことですが,存在しています。短絡的な思考しかできない人が,身近にいる人たちの中にいるかもしれないというおそれがわいてきます。
 安全の国ではなくなってきたという現実がありますが,その背景には用心するという構えが甘くなっていることがあるような気がします。例えば,万引きされやすい環境になっているのではないでしょうか。不特定多数の見ず知らずの人が集まるような構造,そこには隙ができますし,匿名性が現れて自己責任という歯止めも薄めてしまう働きがあります。用心するという緊張感が失なわれた社会は安全ではなくなります。
 昔の狭い地域での生活では,顔見知りという歯止めが効いていたのです。その見えない安全バリアを便利さが突き崩してきたことに,社会はそろそろ気がついてもよい頃です。用心とは自分を守る効果だけではなく,いけないことを封じる効用もあります。監視カメラの設置といった外部からの抑止と共に,けじめという内部からの歯止めも不可欠です。
 そのための用心,隙を見せない振る舞いを心がけておきたいものです。安全はそこにあるものではなく,皆が意図して作り出すものです。不用心が犯罪を生み出していることもあります。人の弱さを想定して,つけ込まない,つけ込まれない用心,一人一人が日頃から考えておいた方がいいようです。人の振り見て我が振り直すという自省の時を持つのも,楽しいことです。

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(2007年05月20日号:No.373)