《楽しみは ほどよい程度 弁えて》

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 会議に入る前に会長としてのあいさつがあります。その折に,小さいネタ話をすることにしています。テニスの試合で最初のサーブをサービスといいます。強烈なサービスが決まると,サービスエースと呼ばれます。サービスという言い方はサーブという言葉と関係があるのでしょうか?
 フランスの貴族がテニスに似たゲームを始めました。ボールを打ち合うラリーがどこまで続くかを楽しむゲームです。その最初の第1打は,コートの外から召使いが投げ込むボールを主人が打ち返すことでした。サービスとは文字通り召使いから主人への奉仕であったのです。
 やがて,ラリーが続くことを楽しむゲームが,続けさせない争いのゲームに変わり,さらに第1打も攻撃者が打ち返させないことをねらうサーブに様変わりしました。ただ,サービスという言い方だけが残っているということだそうです。(PHP文庫:「話のネタ」のタネ500より)
 昔の遊びといえば,羽根突きや蹴鞠も,ラリーが続くことを楽しむものです。今,スポーツといえば,ラリーをぶち壊そうと競う闘争本能に準じたゲームばかりのようです。ラリーを続ける,それは参加者が全員で一つの目的に向かって協力するということです。もちろん,チームによるゲームでは協力と闘争の両方が組み込まれていますが,ゲーム自体はやはり争うことです。
 昔は不安定な世情が身近にあるので,せめて遊びの世界では仲良くしたいと思い,現在は安心できる世情なので,遊びの世界では闘争したいと思うのでしょうか? 遊びは暮らしの場における気分転換,ストレスの解消のために行われます。その典型が緩急,強弱,平穏と闘争といった対極にある感性のバランスです。普段押さえ込まれている感性を遊びの場で解き放つことによって快感が生まれます。
 実世界を逃避し遊びの世界だけに住むようになると,バランスを生み出す対極が失われるので,暴走をはじめます。闘争ゲームが現実世界まではみ出してきて,恐ろしい結末に至ることがあります。遊びを楽しむには,実世界の苦労を正面から受け止めていなければ危険です。感性のバランスを楽しむ,それが遊びをする者の心得ということでしょう。

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(2007年07月08日号:No.380)