《楽しみは 言葉をつなぐ 鍵探し》

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 あることについて考えようとするとき,周りをうろうろするばかりで,中に入り込めないという時があります。とっかかりがつかめない,入り口のドアノブが見つからないといった感じです。一つキーワードをつかめば,スッと入り込めるのですが,その言葉に行き当たらないもどかしさはどうしようもありません。そのようなときは,いったん撤退した方がいいこともあります。違ったことにはまりこむと,グルッと大きな展開をすることになります。そこから改めて近づくと,思わぬ拾い物をすることがあります。試行錯誤をするという,頼りにならない手段ですが,案外と有効です。
 時間的に余裕がある場合にはあれこれ試すのもいいのですが,急ぐときには頭の方を絞り上げることになります。念じるように正面突破するという荒技を使うことになります。これは結構な集中力を必要とするので,疲れます。若いときでないとできませんが,追い詰められてそうも言っていられなくなります。目をつむり,まぶたの裏の薄明かるい闇の中に閉じこもり,言葉の連想ゲームが始まります。漂う言葉と言葉がカチッとつながれば,考え事の扉が開くことになります。
 「方針は現実から与えられる」。そんな言葉をメモしていました。手がかりをつかむためには,現実を見ればいいのですが,ただ見るだけではなく,見通すことが必要になります。そのためには,関係のない二つの分野に現れた現実事象を取り上げてみます。その二つの事象間に共通点を探します。それが見つかると,方針を読み解く手がかりになります。昔からある謎かけ,○○と掛けて○○と解く,その心は? という形を整えようとして,心を表す言葉探しをすればいいのです。
 複眼の思考,二つの目で見るとは,二つの事象を見ることで事象の背後にある核心に焦点を合わせることができるということです。遠近感は単眼では得られないものです。ところで,一人で考えると一つの事象にとらわれて,奥行きのある思考に入ることは困難です。そんなときは二人で考えるという手があります。二人で複眼というわけです。話し合う,相談するという手順の意味はその点にあります。さらに,二人とは現実に二人である必要はありません。誰かが書いた文章でもいいのです。人の文章を読み,それを一つの見方として自分なりの考えをつきあわせるという手順でも,複眼思考になります。
 人の書いたものを読む,それをさらに進めると,昨日の自分が書いたものを今日の自分が読むということも可能になります。人は日々変わります。視点は気分や流れに乗って変わります。昨日はそう考えたけど,今日は少し違う,それが見つかると楽しくなります。そうか!という進展が手に入るからです。

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(2007年07月15日号:No.381)