《楽しみは 未知の経験 インストール》

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 見たり聞いたり経験したりしたことがないことは,全く分かりません。病気をしたことがないと,その痛みなどは分かりません。それでも擦り傷や打ち身といったかすかな経験があれば何とか痛みを想像することができます。似たような経験,それが物事を理解する拠り所になります。
 人が考えたり感じたりするためには,予めそれを検知する機能が備わっていなければなりません。温度計があるからといって色を見分けることはできません。思いやりを感じる物差しを持っていないと,優しさというものがあることを知ることはできません。
 甘さの検出は必要な糖分を摂取する上で望ましいものですが,苦みも毒物の見分けのために大切です。同じように,人の悪意を感じ取るセンサーも必要になります。そのために自分の中にある悪意,それが他者からの悪意に共鳴するから,悪意を見抜くことができます。酸いも甘いもかみ分けた苦労人は,あらゆる感性を備えているからこそ,時に応じて円満な対応が可能になります。
 健康維持に抗体という免疫機能があります。病原菌に対して形成され,再発しなくなる自衛機能です。心身に対するさまざまな刺激を受けて,それが何であるかを検知しその対応をプログラムすることで,人は環境への対処を身につけています。経験知を増やしていけば,物事に動じない落ち着きが出てきます。大人になるというのは,経験を積むことであるといわれる所以です。
 地震にあったことがないと,地震に遭遇したときにうろたえます。何が起こったか分からず,どうすればいいかも分からず,ただ呆然と立ちすくむのみです。そこで,疑似体験をするための訓練があります。したことがあるという経験は,十分とはいえないまでも,対応の役に立ちます。
 人の能力を推察する手段として履歴書があります。どのような経験知を備えているかという目安になるからです。人は経験を取り込むことで賢くなっていくものです。でも,自らの経験はまだ足りないと思うのは欲張りでしょうか? もっと経験を増やしていくために,未知の領域に踏み込んでいくのもいいかもしれません。そう思いながら,いろいろなご縁の流れに任せて,新しい出会いを楽しんでいます。

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(2007年08月19日号:No.386)