家庭の窓
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役目上の招待を受けて,子ども会育成会の主催による小学生女子フットベースボール大会に出席しました。地元チームは第1試合で優勝候補と目されているチームと対戦しました。フットベースボールは,ホームベースに置かれたドッチボールを足で蹴る野球と思ってください。ピッチャーはいませんし,キャッチャーはボールを置く役を果たします。ルールは野球と少し違いますが,大まかにはほぼ同じです。
対戦を見ていると,相手チームは足でちょんと転がす戦法をとってきました。野手はホームベースからある距離以上には入れないという半円の外で守っています。慌てて走ってきてボールをとっても,一塁に間に合いません。上手であれば何とかアウトにできるのでしょうが,一週間ほどの練習しかしていない地元チームにはとても無理のようでした。次から次に同じ攻撃が続き,ぼろぼろと点数が入っていきます。ランナーをためられ,外野を抜けていく大きな当たりを打たれることもありました。
何とかチェンジになって,地元チームの攻撃になります。足で思い切り蹴っていますが,うまい守備にあってあっさりと攻撃は終わります。守備になると,またちょんと転がす攻撃にあって点数が入っていきます。結局大差で敗退しました。地元チームの子どもたちがかわいそうになると同時に,相手チームのえげつなさを感じる声も出てきました。相手チームの監督はと見やると,してやったりと得意げでした。確かに勝負には違いありませんが,姑息なことをしているようで,子どもらしいおおらかさが見えてきません。格が違うという対戦とはいえ,正々堂々と渡り合う試合を期待していたのですが,裏切られた感じでした。
これでもかという波状攻撃に走るしつこさは,何処か子ども同士のいじめにつながっているような気がしてきました。さらには世情に見聞する今時の諍いは歯止めが効かないという特徴があると思っていますが,その一端を垣間見たようです。この辺でいいという判断をしないのは,どうしてなのかと不思議です。古い言葉ですが,武士の情けという気遣いが戦いにもありました。相手のことを幾分かは気遣う心が,自らの行動に清々しさを与えてくれます。勝負には品がなくてはなりません。
子どものために開催される行事であるなら,大人からのメッセージが試合運びに生かされて欲しいと思います。両チームの子どもたちが,試合から何を学び取るか,それを考えてやるのが指導者でしょう。たかがスポーツの一つどうでもいい,ということにはなりません。堂々とした大人で子どもに向き合いたいものです。
地元チームのお姉さん監督が,勝負の流れは脇に置いて,拙いながらも自分たちの試合運びを指導していた姿が救いでした。清々しい負けっぷりに拍手を送りました。負けっぷりの良さ,それを見届けるのも楽しいことです。
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