《楽しみは 不信に勝る 信頼を》

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 ひったくりの事件報道があります。またかという感想を通り越して,普通のように聞き流している自分がいます。交通事故のニュースも聞き慣れているという怖さがあります。感性は良くも悪くも慣れという特徴を持っていますが,事件への慣れは気をつけなければなりません。
 ところで,ちょっと注意して事件や事故の経緯を聞いていると,アレッと思うことがあります。それは発生の時間です。例えば,午前3時などいった時間なのです。おいおい普通ならみんな寝ている時間,そんな時間に出歩いている人がいるのか,という感想です。ひったくり事件については,被害に遭う若い女性が一人で深夜の道を歩いているという無防備さが,危機管理という点で気になります。安全な町であるという信頼は大切なことですが,隙があるとつけ込んでしまうという弱さを人は持っています。人目のない深夜は,悪意が吹き出す環境であるという前提で用心するのが普通です。
 君子危うきに近寄らず。人の善意はあればよし,たとえ無くても状況が悪くなることはありません。一方で,人の悪意は無ければいいのですが,あったときには状況を悪くします。つまり善意は0からプラス向き,悪意は0からマイナス向きに事態を動かします。したがって人の悪意を避けることが優先されなければなりません。何か不都合な事態に遭遇しないために,常に最小限の用心を怠らないことが必要なのです。
 被害者にも隙がある,そのことはどの面からも咎められることではありません。あくまでも加害者が悪いのです。ただし,加害者をいくら咎めても,被害は修復できません。痛い目を見るのはいつも被害者です。悪くないのに痛い目に遭うのは避けた方がいい,だから用心が必要なのです。
 飲酒運転も減る兆しは一向に見えません。自分の身に起きる不幸を想像できない幼さは,飲酒が認められている大人にはふさわしくありません。飲んだら乗るな。たったそれだけのことさえも守れないのでは,社会人として通用しません。至らない人がいることを嘆いたところで,いなくなるはずもありません。身の回りに飲酒運転の車がいるという前提で,凶車を避ける用心をするしかないようです。悲しいことですが少数とはいえ信用できない人もいる,その上で信用できる人たちがたくさんいるということのありがたさをかみしめ,人の世を楽しむようにしたいものです。

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(2007年09月16日号:No.390)