《楽しみは 手間暇掛けて つかみ取る》

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 購読している新聞紙上にデスク日記という囲み記事があります。作家の執筆した連載童話を文化面ではなく生活欄に掲載した試みに対する読者からの反応が書かれていました。「本好きの小一の息子が新聞にも興味を持っているが,せっかくの連載,子どもにも読めるように全部の漢字にルビを振ってほしかった」というハガキが紹介され,「抜かったと思った」ということでした。紙面では常用漢字はそのままで,以外のものはルビを振ったり平仮名で書くのが原則だそうです。それでも,「自分も小さいころ,"この字,何て読むと"と聞いていたであろうに。小さな読者に向き合っていなかった」という反省の弁で結ばれていました。
 読んでいて「違う」と感じていました。自分は小さいころ読めない漢字を聞いていた。それなのに今の子どもにその機会を与えなくていいのかということです。読めない漢字に出会うことが学びの入り口です。ルビを振られていると,そこを素通りしてしまいます。何の苦労もなく読めるようにという気配りは,要らぬお世話なのではないかと思っています。子どもには苦労させたくないという優しさ擬きが,苦労の後の喜びを奪ってきたという従来の子育ての誤謬に気付いていません。
 字を教えるという家庭での教育の機会も奪うことになります。親子の対話の機会も失います。新聞が中途半端に子育てに手を貸そうとするのは,控えた方がいいでしょう。それよりも,「この新聞が読めるようになれ」,そういう目標としての役割を持っていてほしいと願います。何とか読みたいという意欲を引き出す,知らない漢字のある新聞をどうにか読めているという喜びを与えてほしいのです。
 簡単に到達できるようにお膳立てをすることによって,プロセスを楽しむという最も大切な味わいが消え去ります。目的地に向かって飛行機で直行すれば確かに効率的でしょう。しかし各駅停車の列車での旅,そんな復古調のものはないかもしれませんが,道程を楽しむ旅の方が遙かに人間的であり,なにより子どもの育ちのリズムには相応しいものです。出来上がったものを買って楽しむということと,自分の手で作り上げていく楽しみを得るということの違いにもつながります。
 便利でお手軽な世の中は育つ必要のない大人には良いものでしょうが,育ち盛りの子どもや若者には育ちの阻害になっていると思った方が無難です。買えば済むという気持ちがモノを粗末にする育ちを促します。簡単には分からないことがあると,分からしてくれない方に非があると責め立てます。楽しさや喜びは,自分が苦労して手に入れるものという常識を失わないようにしたいものです。

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(2007年10月14日号:No.394)