《楽しみは 危ない橋を 渡るとき》

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 科学雑誌ニュートンを見ていたら,Science誌の記事紹介が載っていました。「女王バチはきらわれない」。きらいなものを働きバチに記憶させないフェロモンがあるらしい,という記事でした。働きバチが女王バチをきらいなものと結びつけて記憶し,攻撃的な行動をとらないようにOMPというフェロモンを出しているというのです。フェロモンといえば,好きになる作用のものというイメージがありますが,きらいにならないというのは控えめなものと感じられます。
 人間世界にもそのようなものがあれば,ずいぶんと平和になることでしょう。そう思いたいのですが,実のところ,人の争いは欲が絡んでいるので,効き目はないようです。ただ,嫌な奴という記憶はなくなるので,小競り合いには効くかもしれません。
 きらいなものを記憶しないということになると,きらいなものという言い方がおかしくなります。「あなたのきらいなものは何ですか?」と問われても,記憶していないので答えようがありません。「きらいなもの? どういうこと?」と逆に問われるかもしれません。きらいなものというのは,過去の嫌な経験と結びついていると考えられますが,記憶していないので結びつきようがありません。何ともややこしい話になりそうなので,止めておきましょう。
 記憶させないという人為はあってはならないことです。たとえそれがきらいなものを記憶させないという,一見良さそうに思われるものであっても,その波及するすべてを見計らうことが出来ないからです。良かれと思った知恵が後で大きな副作用を呈することは,発展を願ったあげくの公害を含めた環境問題などの例を挙げるまでもなく,歴史が教えてくれています。ましてや,人そのものの能力を奪うことは,計り知れない悲劇的結末に向かっていくように思われます。考えるだけでも恐ろしい,そんな直感を失わないようにしたいものです。
 ちょっとぐらいならいいだろう,一度歯止めをくぐり抜けると,動きは止まりません。善意は人の間を伝わる間に薄れてしまい,悪意が忍び込んできます。一部の悪意であっても,社会は痛手を受けることになります。禁断という境界を守る社会的な意志が必要です。それが出来ると信じたいものです。
 良いことと悪いことは表裏一体になっています。良いものを取り出すつもりで悪い方の処理をしたとしても,その良い方の中から悪いものが現れてくるものです。その微妙なバランスを面倒がらずに楽しむようにしたいものです。 

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(2007年10月21日号:No.395)