《楽しみは 見る目の曇り 正すとき》

Welcome to Bear's Home-Page
ホームページに戻ります

家庭の窓にリンクします! 家庭の窓

 若者の携帯メール事情についてテレビがコメントしていました。メールルールがあるそうで,1.メールを自分から終わらせない(返事を求める文章を送信する)。2.5分以内に返信する(返信しないとどうでもいいという印象を与えるから)。3.送信されたものと同じ程度の絵文字を使う(使わないと,きれていると思われる)。そんなまとめがされていました。気配り過敏というか,常につながっていないとシカトされるという恐怖に駆られているように思われます。
 相手に嫌われたらどうしようという不安があるようで,嫌われる理由を極力無くそうとしているのでしょう。シカトする側に「あなたが先に無視したから」という言質を与えてしまうことを恐れています。メールの世界では,一人に嫌われたら,それは即座に仲間全体の評価にすり替わります。個人間のつきあいではなく,自分一人と自分以外のすべてとの関係になっています。すべての人に合わせていくことは大変なストレスになりますし,四六時中メール交換し続けなければ間に合いません。
 0か1か,白か黒か,イエスかノーか,人間関係をディジタル評価している思考が危険です。仲良くするか,嫌いになるか,そんな関係だけでは生きてはいけません。人間は機械ではないという最も簡単な例は,アナログ思考をするということです。0と1の間に無数の数があると考えることによって,生きる苦労や楽しみが生まれてきます。確かに周りに,好きな人もいれば苦手な人もいます。それだけではなく,いろんなニュアンスの人,例えば,好きでもなければ嫌いでもないという,普通のつきあいの出来る人がたくさんいるはずです。そんな普通の人の中で暮らしているのです。
 若者言葉が,"チョー"とか"激"という冠詞を付けるようになった頃から,価値の物差しの原点がずれていったようです。望ましい位置が行きすぎたせいで,普通である位置が悪い位置に滑り込んでいったのです。セレブという言葉を耳にするようになって,格差という言葉が意識されるようになりました。贅沢さを見ているうちに,普通の暮らしが貧しく見えてきたのです。社会の発達には人の上昇志向を煽ることが必要であったのでしょうが,人としてのほどを知らないと,社会は病んできます。豊かな暮らしから長生きが生じましたが,一方でメタボリックが生み出されました。
 原点に返る,自らの価値観の検定を忘れたら,栄枯盛衰の繰り返しになります。何処かおかしいという直感の背後には,見聞きしたり感じたりして何かの判断評価する際の物差しにゆがみがあるということです。世情の些細な一面を眺めながら,自己検定をしてみるのも一興です。

ご意見・ご感想はこちらへ

(2007年11月04日号:No.397)