《美味しさも 飽きがくるから 止めどなく》

 連れ合いが子どもの長い休みを嫌う理由の一つは,三度の食事の用意です。食事の時間前になると,子どもたちは「今日はなに」と献立を尋ねています。フクロの味ではなくおフクロの味にこだわっている連れ合いにしてみれば,自業自得なのですが,口で言う割には楽しんでいるように見えます。
 外では昼食時になると「今日は何を食べようか」と迷いますが,それは主にオカズの選択です。美味しいのはオカズであり,ご飯は味もそっけもありません。ですからオカズが関心事になります。
 ところでオカズは毎日同じものだと必ず飽きてきます。どうしても日替わりが必要になります。それが母親の重荷になります。美味しさには飽きがくるという宿命がありますが,それを回避するために別の美味しさを求めるようになります。甘いものの次は辛いものといった食べ方です。残り味を別の味で打ち消していこうとすると,やがて味はだんだんに濃くなっていきます。
 主食であるご飯には味がありません。だから決して飽きずに毎日食べられます。おかずを食べたら次にご飯を食べる。ご飯で味覚をぬぐうようにすれば,次に食べるおかずが薄味であっても十分に美味しく感じられます。ご飯は味のご破算をしてくれる役割を担っています。味がない状態に常に戻ることが味覚を洗練するコツです。
 食事に限らず,日頃から面白いことばかり追い求めていると気づかないうちに過激になっていき,洗練された感性からはぐれていって終いには中毒状態になります。感受性を磨くには感じない状態を保つ努力が必要です。
 静けさがあるから妙なる音楽が,無臭だから馥郁とした香りが,孤独だから人のぬくもりが,無だから少しの有に感動が生まれます。  
 
ホームページに戻ります Welcome to Bear's Home-Page (2000年5月7日号:No.5) 前号のコラムはこちらです 次号のコラムはこちらです