家庭の窓
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月初めに年賀状が発売されて,月も終わろうとしています。年賀状を書く気になるには,やはり年末に近づかないといけないようです。まだまだ先のこととやり過ごしていると,過ごしすぎて慌てることになります。書店には年賀状関連の書が平積みになっています。手にとってのぞくほどの関心はないのですが,目にはいるので,何となく急き立てられているような気分になります。すっかり書店側の思うつぼにはまり掛けています。
ところで,年賀状は購入したのかということですが,例年郵政関係の知人の伝手で買い求めています。お互い様のご縁に頼っています。本を積ん読ということがありますが,年賀状を手元に置いておくだけで,半分以上の作業が済んだという気分になっています。後は宛名と文面を印刷する時間だけと,のんきに構えています。来月中旬になると,この方にはこの図柄でこの文面を,という手間を掛ける楽しみがあります。日々の流れの中で,機が熟すのを待つのみです。
いろんなご縁が絡んで,あれやこれやの役回りを帯びていると,新しい知り合いやお世話になる方が増えてきます。一方で,疎遠になっていくご縁の方もありますが,決して切れてしまうわけではありません。思いがけない所でまた近いご縁に復活してきます。誼を交わすという上で,一年に一度の年賀のご挨拶は大切にしています。隠遁する覚悟で,広がっているご縁を断ち切ろうと思うこともありますが,ご縁には逆らわない方がいいのかなと,自然な成り行きに任せています。
人とのつながりが失われるのは寂しいことです。年上の方々は社会的な現場からは退いておられるので,その面での誼は控えていくのがよいのかもと考えることもあります。しかし,誼を切られる立場を察すると,寂しいものがあるかもしれないと思い直しています。自分から切る分にはいいのですが,相手から切り捨てられるのはあまり気分のいいものではないだろうと思うからです。決めるのはやはり年上の方に任せておいたほうが失礼にならないのでは勝手に決め込んでいます。
一年に一度の年賀状の交換,元気に暮らしておられる確認だけであっても,うれしい知らせと感じています。宛名と文面を見ながら,どうしておられるかなと思いを巡らすときが先の楽しみであり,年が明けてからいただく文面がお元気そうでよかったという後の楽しみになります。
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