《楽しみは 時の流れの 早回し》

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 テレビを見ていたら,若い頃の思春期に対して,年配者に向けて思秋期という言葉が出てきました。あまり耳にしたことがなかったので,辞書を引いても出てきませんでした。ネットで検索すると,出てきたのが「思秋期」という歌でした。阿久悠作詞、三木たかし作曲で岩崎宏美によって歌われたそうです。そこでは思秋期とは20代後半を指しているもののようですが,ドラマの中では人生の秋という意味合いで使われていました。
 長寿時代の中で40歳を人生の折り返し点と考えると,心も身体も変化の兆しが現れてきて,ちょうど思春期の頃と対比できる状態になり,中年期を思秋期と呼ぶことがあるそうです。これからの人生というものを考えさせられる時期という点でも対比ができるように見えます。
 とっくにその時期を通り過ぎている者は,何を思えばいいのでしょうか? 残された人生をどう結んでいくべきか迷う時期として,思結期とでも言えるでしょうか? 動物的に考えると,次世代を育て上げる時期である人生50年を過ぎると,役割の終わった余生という時期に入ります。余った人生です。好きなことをしてのんびりと過ごしていればいいというのが普通かもしれませんが,浮き世を生きていく苦労を免れることができないのが現実です。
 幸か不幸か少子化のお陰で,団塊の世代がリタイアするとさまざまな技術が失われるという危惧があるお陰で,定年延長などで働き口が広がっている面があります。跡継ぎを育てずに自分だけががんばってきた団塊の世代は,余生も忙しく過ごさなければならなくなっています。
 日本という国は人材によって成り立っていたのに,最も根本的な人材への投資,子どもを育てるという聖なる労働をないがしろにして,物作りに特化した国づくりに突き進み,滅びのスパイラルを築いてしまったようです。金の卵を産む鶏を,腹の中に金があると思ってさばいてしまった愚かな者を学んだようです。
 モノの豊かさに迷った時代,それはかつて衰退の始まりである文明の爛熟期の様相であったはずです。大きな学びを忘れていたのでしょうか? 歴史は繰り返すということから,人の知能は抜け出せないのかもしれません。なるようにしかならない,天のみが知ることと,あきらめることが賢い選択となりそうです。時代の流れをどう読み解くか,ささやかな一個人の楽しみです。

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(2007年12月02日号:No.401)