家庭の窓
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公的な機関が設定している○○週間というのがいろいろあります。多くの人に知らせるために啓発活動が計画され,チラシと組み合わせた品物を配ります。絆創膏セットやティッシュなどです。朝の駅頭や夕方のスーパーの前に立って,通る人に渡します。年に数回,その役回りを押しつけられることがあります。大部分の人は受け取ってくれますが,時折全く無視して振り払うように拒否する人がいます。啓発の言葉を記したたすきを掛けているので,怪しいものではないと分かるはずですが,どうしたことでしょう? おすましの若い人に多いようです。
初めての頃は,タイミングが悪いためでしょうか,素通りされることが多くありました。数人で分担しているのですが,いつまでも配り終わらずに,引き受けてもらう始末でした。渡し方にコツがあるのではと,あれこれ工夫するようになりました。歩いている人のペースを乱さないこと,何が渡されるのかを伝えること,受け取りやすい位置に差し出すことなどです。気持ちとしては,受け取らざるを得ないようにちょっとだけグイと差し込むつもりで渡すようにします。
ところで,チラシを配ってどれほどの効果があるのでしょうか? とりあえず受け取った品物を後で使うときや片付けるとき,同封しているチラシがチラッとは目に入るでしょう。こんなことをやっているんだと思ってもらえれば,啓発の最初の効果はあったことになります。とりあえず知ってもらうことの次として,何%かの人は記憶に残してもらえることでしょう。もちろん,そのチラシに記載されている情報が必要であった人なら,啓発の効果は完結となります。それを願って配ります。
○○週間として周知を図る事柄は,概ね社会にとって「よいこと,すべきこと」です。助けを必要としている人のためになることです。そんなことはこの私がすることではなく,それなりの役割を背負っているあなた方がすることでしょうという他人任せな雰囲気があります。関係ないという拒否の壁があります。優しさという柔軟剤を振りかけようとするのですが,勘違いされている個人主義というコートにはじき返されています。
余計なお世話と思われても,やらなければならないことは続けられます。社会的な活動とはそういうものです。やるべきことを持っていないと,人としての生き方の芯が無くなるからです。誰からも当てにされずほめられもしない,ただコツコツと真面目にやるべきことをやっていける,その楽しさを持ち続けたいと思っています。
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