《楽しみは 人間距離を 保ちつつ》

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 隣接する大都市の中心街を通り抜けることがあります。バスの乗り換えを省いて,目的地まで20分ほど歩きます。幅3mほどの歩道をテクテクと歩いていると,自転車が人を縫うように走り抜けていきます。一瞬ヒヤッとします。いくぶん天の邪鬼の質があるので,こちらから避ける動きはしません。自転車とケンカしてどうするのと自嘲しています。もっとも間合いは見ているつもりです。危険な振る舞いを見ると,無性に怒りがこみ上げてくるので,向かっていってしまいます。
 新聞に自転車事故が急増しているという記事が載っています。件数は年々直線的に上昇しています。現状を直接経験しているので,記事を実感しています。若者による加害が4割だそうです。ヘッドホンで音楽を聴いていたり,携帯電話に気を取られているといった声もあるようです。自転車が歩道を走っていいのは,狭い車道の道では自転車は弱者なので,緊急避難として許されていると聞いたことがありますが,歩道に上がると自転車は歩行者に対して強者に成り上がります。
 身の程を弁えるという気遣いが廃れています。自分がどのような立場にあるか,自分の存在の影響を見極める見識が発揮されていません。歩行者に対する自転車という相対的な関係が自覚されていません。自分の世界に入り込むことしか念頭にない,思考の閉じこもりです。風呂敷を広げると,社会性の未熟さと言うこともできます。歩道は歩行者のためにある空間であり,そこでは自転車はお邪魔している立場です。自転車は遠慮して走るのが常識です。非常識は無謀に直結する怖さがあります。
 生活圏は郊外にある町ですが,道路は一部の幹線を除いて,一車線道路です。歩道も片側にしかありません。自転車に乗っていると,車道は車ぎりぎりなので,どうしても歩道に逃げ込みます。都会ほど歩行者はいないので,ほとんど専用道路状態です。歩行者がいると止まって待つか,車道に進路を移します。歩行者の側をすり抜けることはしません。もちろん,携帯を手にするといった無粋なまねは控えて,自転車を転がすことに集中して走っています。それが交通ルールと思うからです。
 人は密集すると閉じこもるようになるそうです。都会の雑踏の中では,閉じこもりが起こって,他者が意識から欠落していくのかもしれません。そんな人間の弱点を弁えていないと,密集の中で暮らす自らの危険な立場を回避できなくなります。都会は人を変えるということは,そういうことなのでしょう。小さな町の暮らしがホッとするのは,適度の人間間合いが維持されているために,気持ちを開くことができるからです。そこから暮らしをゆったりと楽しむ余裕が生み出されます。

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(2007年12月23日号:No.404)