《よろこびは あれやこれやを 考える》

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 一日中何かゴソゴソとしていないと落ち着かない性分は,なかなか無くなりません。もう少しゆったりと過ごしたらいいのにと思うこともありますが,自分ではゆったりしたペースであると感じているので,変える必要がないようです。しなければならないこともありますが,それよりもしたいことがありすぎて,どうにも止まらないといった有様です。ただ,どれもあまりお金を招き寄せることではないので,その意味でもあくせくという感じから遠ざかっています。
 家庭の暮らしのペースがあり,自分のペースとの間に空いた時間も生じます。そんな時間が手持ちぶさたになり,何かすることがないかと周りを見回しながら探しています。見つかないときは仕方なく適当に屈伸運動をしています。何もせずに座っていると,眠気が襲ってきます。眠り足りないということはないのですが,頭の回転が止まると即お休みモードに入るようです。目が覚めている間は動き回る,動物は動いているから生きていると思っているので,このままの生き方が続きそうです。
 夕方になると,今日は何をしたかなと振り返っています。あれとあれが済んだ,そういう日はヨシという気になります。何をしたと思い浮かばないときは,寝るまでの間に何かを済ませようとします。些細なことです。テーブルを片付けたり,明日の準備をしたり,読みかけの本を数ページ読んでみたりといったことです。周りとの関わりが楽しいだけなのですが,昔流にいえば,貧乏性なのでしょう。完全ではありませんが,し残したことがあると落ち着かなくて整理しておく癖は子どもの頃からでしたから,年期ものです。子ども時代,部屋が散らかっていると,父が母を叱っていたので,それが嫌で意地でも片付けるようになったのでしょう。
 お陰で家中のものの在りかは把握しています。連れ合いが「あれは何処に?」と尋ねるのが日常茶飯事です。連れ合いと買い物に行って,補充すべきものを伝える役目も引き受けています。家の中のあちこちをイメージしてあるべきもののチェックをしながら,品物の陳列棚を巡っていきます。さすがに食料品については連れ合いに一任しているので,思考を停止して籠を載せたカートを押してついていきます。
 生活上の役割分担をし終えると,パソコンの前に座って,そこはかとなく心に映りしことを書きつづっています。社会的な役柄上に必要な文書類も結構あります。通常は事務局任せにするのでしょうが,それでは主体的に貢献できないので,最小限の準備をしておきたいのです。あれこれ考えることに事欠かないというのは,頭にとってよろこびのようであり,退屈しない日々をおくっています。

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(2008年01月27日号:No.409)