《よろこびは 今を夢中に 生きてこそ》

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 「やれなかったのではなく,やらなかったのである」。「言い訳はしなかったことにのみ付随する」。与えられた役割を今日きちんと果たそうとすることが生きている証です。昨日の役割や明日の役割にすがりついたとしても,それは何の意味もありません。自己満足にもならず,自分に対して言い訳をする羽目になります。人はいつも今が旬の時です。しかし,時々で何が旬であるかは変化していきます。今がいつまでも続くわけではなく,かといって終わりがあるわけでもありません。ただ旬の形が変わっていくにすぎません。
 今自分に求められていることに向かって励むことが大事です。それができるとき,人は世界を広げ,自己研鑽が進みます。「世の中が変わってしまった。昔はこうではなかった」。そういう感想が出るときは要注意です。賞味期限が過ぎていることになります。気持ちとしては変わってしまった世間が間違っていると言いたいのでしょうが,柔軟性を失った自分のことに気付くべきです。日々新たなりという言葉は,自分に向けて語られてこそ意味があります。
 生きがいというのは追い続けるものがあるというです。日々精進し続ける何かがあれば,常に明日の自分を楽しみにすることができます。明日も今日の自分,何となくそう感じていると,それを老いと呼びます。少年よ大志を抱け、この年寄りのように! 老いを感じさせない人は,志を目指して今日なすべきことをしている人です。青春時代のままに生きているとき,賞味期限は張り替えられていきます。年齢の偽装になりかねませんが,生きているということは日々新たであることなのです。
 生きていると節目に出会います。人間環境には期間や任期や定年などがあります。いつまでも現状が続くはずもありません。その度に自分を再生するチャンスがやってきます。新たな目標を与えられることが多いでしょうが,それに順応するために学びが必要になります。昇進した人がしばらくするとそれらしくなってくることは経験されることです。節目で変わった環境に相応しい力を身につけるような転身は努力しなければ達成することができません。仕事の場ではほとんど強制的ですが,そうでないときは自分を変えるという意欲を持って挑戦する元気が不可欠です。そういう機会を与えられることがあれば,大きな喜びと受け止めておくべきでしょう。
 変化を恐れるようになったとき,生きる気力は萎えていきます。人は走り続ける,動いていてこそ動物としての基本に沿うことができます。追い求める姿勢があれば,目の前にはいつも夢が浮かんでくるはずです。夢があるから追うのではなく,追うから夢が形作られてくるのです。自己を創造する喜びとは作り続けていくプロセスの中にあります。

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(2008年03月02日号:No.414)