《よろこびは こだわりを捨て あるがまま》

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 新聞に今日の運勢が誕生月で掲載されています。連れ合いが目を通し,読んで聞かせてくれます。何処のどなたがどんな方法で運を読んでいただいているのか分かりませんが,当たるも八卦当たらぬも八卦と罰当たりな受け止め方をしています。2月生まれといっても,赤ちゃんからご長寿まで,男女ともにいらっしゃいます。そのすべての方に当てはまる運勢があるとも思えません。書いてある状況に全く思い当たらないことの方が多いようです。
 連れ合いの誕生月の運勢が芳しくないとき,助っ人を頼むなら2月生まれと書いてあることがありますが,他の月の人になることは滅多にありません。運勢でも腐れ縁なのかと引導を渡されているようで,二人でいつも笑っています。ただ逆の場合がないので,いささか不公平感があります。テレビで血液型による今日の運勢もやっている番組もあります。時折目に入りますが,頭の縁をかすめて通り過ぎています。ただ連れ合いの分をみて,今日は良い日か悪い日か,出掛けている連れ合いをちょっと思いやる一瞬があります。それも一過性なのですが。何しろテレビは場面が変わり次の情報を押しつけてくるので,立ち止まることができません。
 人には先のことを知りたいという欲があるのでしょう。何が起こるか分かれば、準備をすることができると思うのでしょうか? でも,運勢とは既に決定済みであり,人がどのようにじたばたしてもどうしようもないものであるはずです。それなのに「○○すればいい」といった対処法が教えられます。運勢を決めている神様?の目を盗んで狡をしているようなものです。それともそういう運勢欄を見て自分の運勢を変えるということが神様の決めた本当の運勢なのでしょうか? 訳が分からなくなってきます。単純に考えれば,運勢とは今のままであれば●●だが,△△という変化を呼び込めば,○○という運勢に変えることができますというものです。結構いい加減なもののようです。
 人生はあみだくじのようなものです。日々大小の選択をしています。するしない,行く行かない,待つ待たない,やめるやめない,歩く走る,乗る乗らない,いつもの決まった生活の中でも,どれにしようかと選んでいます。服装の選択で見る人の印象が変わり,対応が変わり,結果が微妙に異なります。あそこで右に曲がったばかりにしくじったとか,ちょうどバスが来たとか,ほとんど運みたいなことにも左右されます。連れ合いとの出会いや,人との出会いや別れ,そんな選択は挙げればきりがありません。その一つ一つがあみだくじの結節点になり,展開が変わっていきます。その顛末を読み切れないから,運命ということで納得せざるを得なくなります。
 先のことは分からない,分からないことは気にしない方がいいと諦め,今の選択を可能な限り良き向きにしていき,結果を受け入れてしまう,そんな開き直りが凡人の生き方なのかもしれません。こだわりを捨て,あるがままに生きることをよろこぶ,何処かで聞いたような落ちになりそうです。

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(2008年03月16日号:No.416)