《よろこびは 言葉を受けて 連想に》

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 大リーグから引退した桑田投手が,子どもたちへのメッセージとして色紙に書いた言葉がテレビ画面に映し出されていました。「自分らしく,自分のペースで」。桑田投手らしい言葉の選択のように感じました。言葉を視聴するとき,それを受ける側の事情が反応します。比喩をすれば,水面に石が投げ込まれるようなものです。言葉を受け止めるだけではなく,連想という波紋が広がっていきます。
 ちょうどその日は組織運営に関する講演の内容をあれこれ考えるモードに入っていたので,「自分らしく」という言葉を客観視することになりました。自分のこととして受け取るのではなく,人が自分らしくしようとしているのを端から見ているという視点です。言葉が思考回路の新しいスイッチを入れてくれました。
 自分らしくというのは,どこで発揮できるのかという問いが浮かんできたのです。簡単に言えば,皆の中にいるから自分らしくしていられる,自分らしさは人の中にいることが前提条件なのではないかと思い至りました。周りの人が「あなたらしくてしていいよ」と認めてくれる必要もあるのではということです。自分らしくしていることがはた迷惑であるなら,それは孤立していくだけで,自分らしくしていることはできなくなります。
 さらにいえば,集団が機能を発揮するためには,多様な能力の集合が求められます。同じような人が集まっても,集団の良さは発揮できません。野球でいえば,4番バッターらしい選手だけを揃えても,チームとしての力は期待できないのです。いろんな持ち味が揃う,それがチームという集団であり,その中でそれぞれは自分らしさを生かすことができます。
 組織を作り動かそうとするとき,一人一人の持ち味を役割と結びつけることができるかどうかが大事なポイントになります。ゆったりとした集団活動の場合には,それぞれが自分の持ち味に合う役割を選び取っていく時間を与えれば,「それは私が引き受けよう」という動きが生まれ,組織としての陣容ができあがっていきます。
 自分らしくということは,社会生活の中で,何を引き受けていくかという覚悟を持つことになります。その役割は自分に任せてほしい,そういう気概が自分らしく生きることになるのでは思ったりしています。
 一つの言葉をきっかけにして,自分の中にある課題と結びついて,連想が流れていきます。取り立てて新しい結論に至ったわけではありませんが,自分らしくということと集団の有り様という二つのことの間に関連づけという道が開通したのです。
 物事を関連づける,それが思考という営みであれば,頭の体操をしたことになります。もちろん,ここまでの関連づけは仮説という代物であり,具体的な事象と照らし合わせる検証が伴わなければ,知恵にはなりません。一つの考え方を手に入れたということだけを記憶しておくことにします。

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(2008年05月25日号:No.426)