《よろこびは いつもと違う 経験を》

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 あるスポーツ大会に参列するために,日曜の朝にスポーツ公園に出かけました。いつもならば車ですが,大会ですので駐車スペースがあるかどうか不明なので,自転車を利用しました。車の少ない道を選んで走っていましたが,ペダルが重いという感触を得て,道に沿ったブロック塀の裾に目をやりました。地面と接している部分を目で追うと,ブロックの段の継ぎ目を横に走っている線が前方に向かって道に近づいています。つまり,道がせり上がっているのが見て取れました。緩い登り坂だったのです。車で走っているときには感じませんでしたが,長い登り道ということに気付かされました。
 重たいペダルを踏みながら,前の夜にインターネットでみた町の防災マップを思い浮かべました。マップには浸水する地域が示されていました。丘のようなところは別にして,平面的に広がっている町内なのに浸水する地域としない地域があるというのを,なんとなく不思議に感じていました。でも長い直線道路で高低差が実際に足から伝わってくると,マップの位置関係が実感として見えてきました。
 情報というのは知っていることは簡単です。それを納得して受け止める,自分の知恵とするためには,感覚というフィルターを通さなければなりません。感覚は現場に身を置くことが条件になります。登り坂という感覚は,車に乗っていると消されてしまいます。自分の足を地につけることで感覚は機能します。五感という人の感覚が働くようにしないと,生きた情報にはなりません。このような実感の重要性は自明のことですが,それはちょっと違った行動をしてみることで,改めて確認できます。
 日常の行動パターンを少し変えてみると,新しい発見があります。人には慣れという機能があります。慣れると感覚の働きが省略されます。慣れている行動に変化を与えると,感覚が働きます。人は変化に対して敏感になるものです。状況を読み取ろうとすることから,それまで見えていなかったものが否応なく見えるようになります。同時にその変化に体も反応します。生活習慣病は変化が乏しいことから身体機能が偏ってしまうことによって生じます。日々新たにいろいろな局面を迎えるつもりで身を処すようにすれば,心身ともにフル回転をするはずです。人は動物,動いていてこそ快調に生きていけるのです。
 年を重ねてくると,身の回りのことに対して感動することが少なくなります。当たり前のことという思考の慣れが働くからです。感動は変化に誘われます。知らなかったことに出会ったとき,経験したことのない場面に出くわしたときなどです。感動してどう表現してよいか分からないというのは,未経験だから言語世界に適当な言葉のメモリーがないからです。
 生活空間を限っていると,何でも分かっているような気になりますが,実は井の中の蛙状態です。その狭い世界から脱出するために旅に出ることもいいでしょう。でも,そんな大層なことをする必要はありません。新しい場面はすぐそばの生活空間にあります。日常をちょっとだけ変え続けていく,そんな小さな冒険ができるように心がけていきます。

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(2008年06月22日号:No.430)