《よろこびは 手助けのつけ 引き受けて》

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 地域限定のボランティアグループに入っていることは前にも書きました。毎週1回の小学校児童の下校時間見守りも一つの活動です。帰ってくる子どもたちに,「こんにちは」と挨拶をし,「お帰り」と見送っています。
 先週の金曜日も,いつものように子どもたちの様子が見える見通しのよい持ち場で見守りをしていました。遙か先の方で子どもたちが道をそれて,水路に近寄っていきます。以前,田んぼの水を確保するために水路をせき止めている板を子どもたちが扱うので困るという苦情を聞いたことがあるので,気になって見ていましたが,せき止めているところより上流の方にいくのでその心配はなさそうでした。
 子どもたちの姿はちょうど家の陰になって見えません。立ち寄っては帰って行く子どもたちを見て,子どもらしい興味のあるものが何かあるのだろうと思っていました。近くの大人たちが出てきて,子どもたちの方を見ています。叱っている風でもありません。おそらく道草を食っている子どもたちに声かけをしている程度のことと思っていました。
 下校の流れが途切れてきて,グループの仲間も帰りの動きをしていましたが,水路のところで立ち止まって,そこにいた人たちと話しています。何事なのかと帰宅道をさかのぼってそこに行ってみました。
 6,7人の子どもたちが水路の脇にたむろしています。その中心に白い大きな犬がいて,水路にはまっています。前足を岸にかけて水路の中で立っているのが見えました。一人の子どもは水路に入って犬を後ろから抱えようとしています。一人の子どもは1mほどの板を持ってどうすればいいかとウロウロしています。
 大人たちは,「噛みつかれるから離れなさい」と言っています。そういえば,数日前に飼い犬の土佐犬にかみ殺された男性のニュースがありました。ましてや見ず知らずの犬です。気心も知れません。見たところ首輪もなく,もしかしたら住所不定の犬かもしれません。警戒するのも至極当然でしょう。
 そんなことを考えながら,足は犬の方に向いていきました。何かことあるとき,ただ見ているだけの状態は落ち着かなくて,つい動いてしまう習性があります。犬に近づきながらどう扱えばいいか思案し,着いたときは犬の背中の方から両前足の付け根をつかまえて,引き上げていました。「ありがとうございました」と子どもに声をかけられ,それを言うのは犬だろうと思いながらも,犬の気持ちになっている子どもがうれしくもありました。
 犬はその辺りにいた人の周りをはしゃぎ回っていましたが,やがてゆっくりと下校道を歩いていき,子どもたちも一緒について帰路につきます。ぬれた靴を手にぶら下げて裸足で帰っている子どもに,「ありがとうね」と声をかけて,グループも見守りを終えました。
 よかった,よかったという顛末です。ところが,現実はそうはいきません。臭うのです。犬の脇の辺りをつかまえたせいでしょう,強烈なにおいが手に残りました。帰宅して手を洗いましたが,なかなか消えません。3度ほどゴシゴシと洗って,やっと臭わなくなりました。引き上げたとき濡れた犬がブルブルとしたせいで裾もぬれてしまいました。連れ合いに洗濯機に入れなさいと言われて,着替えです。靴のぬれた子どもも,後に要らぬ手間が残ったことになります。
 水路に落ちた見ず知らずの犬に関わったばかりに,余計なことが降りかかってきます。だから言わないことじゃないという声が聞こえてきそうです。でも,やはり手助けをするというのは,少しのことを引き受けることでしょう。それがわざわざという行為になります。善意といった大層なことではなく,ちょっとした手助け,それが人と人を結びつけることになります。一期一会は大切なことです。

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(2008年06月29日号:No.431)