家庭の窓
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大学の学部同窓会から文書が舞い込んできます。名簿作成のためのデーター確認と名簿購入の案内です。今回はさらにもう1件の文書が追加されていました。名簿作成の費用が覚束なくなってきたので,数年以前の卒業生から会費を納入してもらうことになったというお願いです。卒業の時に払った同窓会費では不足してきたということです。
実情がそうだろうなという察しはつきますが,卒業後数十年を経て一線を去った者としては,もういい加減に解放してほしいという思いがしています。すっかり過去のことで,縁としてはすり切れてしまった感があります。引退制度を設けてほしいものです。返信を辞退すればなし崩しにできるかもしれませんが,きちんとけりを付けておきたいと思います。
同窓会名簿は年々ページ数が増えていくばかりです。すべてを網羅していたら、経費はかさむ一方ですし,分冊にでもしないと分厚くなります。形式を工夫する必要もあるようです。ところで,同窓会名簿を必要とする同窓生はどの程度いるのでしょう。振り返ってみると,同窓会名簿を使った記憶が全くありません。別の用途で名簿を使う人の方が多いのではないでしょうか。
もっとも,同窓生意識がとても希薄な特別な卒業生の思いかもしれません。親の勤めの関係で小学時代に転校を繰り返し,そのせいか幼なじみという関係を持ち合わせておりません。大学という機関もただの通りすがりといったものです。もちろん,出会うことがあれば,懐かしさは感じますが,それ以上のつきあいはありません。どこにいても基本的に一期一会を精一杯に大切にするだけで,旧交を温め続けるというつきあいはしてきませんでした。
傍目には寂しく見えるかもしれませんが,今のつきあい,明日のつきあいを楽しむことで十分です。もちろん年に一度の年賀のあいさつを欠かさないようにしている方々もいます。それ以上のおつきあいはご縁という采配に任せきっています。
月日は百代の過客にして,行かふ年も又旅人也。奥の細道の奥深い心情ではないですが,その一分程度の思いです。基本的に後ろ向きになることがなくて,再会もまた新しい出会いと感じて処してきました。人は変わります。再会したときは以前のその方とは違います。お互いに新しい人としての出会いと思うほうが,新鮮で楽しくおつきあいができます。たまたま出会ったとき,「今どうしている?」ということが話題になるのが自然です。
人付き合いで悩むとか,一人でいると寂しいといったことを聞くことがあります。分からないではありませんが,共感までは進みません。人は一人でこの世に登場して一人で退場していきます。もちろん,生活する上では周りの人との関わりも不可欠ですが,それは社会参加という形でいつでも満たされています。必要なものは買い物に行けば売ってくれる人がいます。誰とでも好きなようにつながっています。
人付き合いは自分の思い通りにはいきません。そんなときはじたばたせずにそういうものとして受け止めるか,あっさりと流しておけばいいのです。一人でいて寂しいときは,今の自分をどれほどの人が支えてくれているのか思いを巡らせば,決して一人ではないと感じられます。たとえば,身の回りあるモノを作った人がいて,運んでくれた人がいて,安全をチェックしてくれた人がいて,・・・。
周りにいるはずの人をきちんと見る目を持って,自分を押しつけることを控えれば,人を素直に受け入れることができますし,温かい関係を持つことができるようです。たくさんの人がいて,行きずりの付き合いから,しばらくお付き合いする人や連れ添う人まで,多様な関係をご縁とあきらめて誠実に向き合うことを楽しみたいと思っています。
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