《よろこびは 惑う自分を 相対化》

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 地球温暖化というキーワードが踊っています。温暖になるのですから,うれしいことかと思いきや,困ったことだということです。困ったというニュアンスを表すためには,地球過熱化とでもいえばもっと分かりやすかったことでしょう。環境はほどほどがいいようですが,人間社会の発展という膨張指向が適正な規模を超えてしまったのです。現代版バベルの塔であり,塔ではなく地球そのものが破壊されようとしているというところが恐ろしいことです。
 この地球は惑星と呼ばれています。惑える星です。まさに現在,過熱化に惑っているという皮肉が浮かんできます。昔の人は夜空に点滅する星の中に,点滅しない星があることに気がつきました。テレビのない世界です。夜はぼんやりと星でも眺めて過ごしていたのでしょう。毎日眺めているうちに,やがて少しずつ位置が変わってくることを見つけました。記録を付けていくと,一年という周期の中でそれぞれの星が決まった運行をしていました。
 どう動いているのか考えてみたくなり,見ている自分の周りを星たちが円を描いて回っていると思うようになりました。天動説の宇宙観です。大方の星についてそれでよかったのですが,点滅しない星にじっと目をこらしていると,円の上を決まった速さで動いているはずが,時折後ずさりすることがありました。いかにも行き惑っているなので,惑星という名が付けられました。
 後ずさりするのはどうしてか,気になります。そこであれこれ考える人が出てきました。大きな円の上を動きながら,細かく見るとその円の上にある小さな円に沿って回転していると考えた人もいます。小さな円を描く短い時間の間は後ずさりするように見えることがあります。でも,うまくいきませんでした。
 自分を中心にして星を見ていることが間違っている,それに気づいたのがコペルニクスです。自分も動いているという地動説です。自分自身が惑星と同じであると考えると,それぞれが円を描いて動いているというモデルだけで,説明があっさりとできるようになりました。後ずさりという現象も,動いている列車から平行する路上を走る車を見ると,車が後ろに進むように見えるのと同じだったのです。
 エゴという言葉の濁りをぬぐい去れば,エコというすっきりした言葉になります。自分中心であることは,物事の正しい理解を妨げます。相手が間違っているといういわれのないメッセージが行き交うだけで,ことは深みに惑うだけです。惑える星から脱却するためには,従来の膨張指向を転換し,発展という恩恵が歯止めをかけなければガンに似たものでしかないという反省をすべきです。豊かさがもたらすものは本当によいものであったのか,全否定する必要はありませんが,程をわきまえるという節操を重ねる必要性を思い起こす時期です。
 廃棄される食料の多さを報じる情報に驚くことはしますが,それを他人事と聞き流しているようでは,天動説から抜け出せません。情報を生かすか否かが賢さであるとするなら,人は何を学んできたのでしょうか? 反省だけならサルでもできる,そんなフレーズがありましたが,毛が三本抜けてしまっているのでしょう。雨に当たるとき,雨粒が頭皮に直撃してくる実感は,3本以上の脱毛を思い知らされています。猿の惑星にならないように,頑張らなければ・・・。

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(2008年07月27日号:No.435)