家庭の窓
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ショッピングセンターに出かけて階を移動するとき,エスカレーターを利用します。手すりを持つようにという案内があり,大して意識はしていませんが,空いている左手で手すりを握っています。ところが,移動するにつれて,手が先に動いていって,そのまま手を離さないと引き倒されそうになります。階段のスピードと手すりのスピードが同期していないようです。注意していないと気づかない程度なので,ずれたら握り直せばいいのですが,調整の甘さを感じました。
なじみの店舗ですが,かなり頻繁に売り場の小規模な変更が行われています。品物の配置を覚えて買い物の順路が自然に決まっているのですが,変更を余儀なくされます。面倒といえばそれまでですが,どういう風に変わったのかを探検するのも面白いものです。慣れてくると,余計なコーナーには足が向かなくなりますが,変更があると普段見慣れないコーナーに出会うことになります。こんなものも売られているんだという発見があります。これが狙いかも?
連れ合いと出かけて,女性のコーナーに立ち寄るときには,おおむね書店などのコーナーに別行動を取ります。男性用品などにはほとんど用がありませんので,そのコーナーは素通りです。時間を見計らって連れ合いと合流するために,いつもの順路を歩いていきます。ところが,時折連れ合いが予定外の別の場に立ち寄ることがあると,すぐには出会えなくなり,捜すことになります。もっともいつもの順路上で待っていれば出会うことにはなります。
家庭生活関係の買い物なので,連れあい主導です。時折嗜好品をかごに入れることはありますが,カートを押してついて行くだけです。最近は,買い物バッグを数個持参してポリ袋を遠慮するようになりました。ハンコを押してもらっているようですが,どれほどの還元があるのか知りません。買い物用の財布には,あれやこれやの小さなスタンプカードが並んでいます。ちょっとの面倒さを上回る程度に,ささやかな楽しみなのでしょう。
同じ品物でも種類がたくさんあって一コーナーを占めるようになっており,選ぶのに大変です。一品一種であれば,さぞかし買い物は楽になるし,売り場も狭くて済むことでしょう。そうはいっても他品種が豊かさであると思われているので,望ましい状況ではあります。選ぶのが大変と思うか,選ぶ楽しさを味わうか,二つの分かれ道があります。どれでも同じだろうとおおざっぱな感性であれば,他品種のメリットは失われます。世間には微妙な違いに敏感な方が多いのでしょう。そういえば,連れ合いが野菜や果物を買うとき,山積みの中をあれこれ品定めをしています。どれでも同じに見えるのですが,どこが違うのでしょう?
人のことは見えるのに,自分のことはつい見逃していますが,似たようなことをしていました。本を買うとき,平積みされた中から一番上にあるものは何となく避けています。誰かが手にして見ているかもしれないということでしょうか。一番上の本は見本という勝手なイメージがあります。例えば,別の売り場では,展示品しかない場合,売り場の方から在庫がないという断りと,現品でもよいかという確認がなされます。そんな流れが自然としつけられたのでしょう。
買い物をする場面で,売る側と買う側の思惑がぴたりと合えばいいのですが,調整が甘いと微妙にずれが生じます。あれこれ試行錯誤をしているのでしょうが,そのことによってお互いが変化してしまい,いたちごっこになっていることもあるようです。人の思惑とは掴まえどころがないものです。
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