《よろこびは 言葉の根っこ 伸ばすとき》

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 オリンピック開催直前の頃に,連れ合いのお迎えのため,ある施設の前で待っていたときです。カーラジオからオリンピック放送に関するクイズ番組が聞こえてきました。今回のオリンピックでは,ラジオで実況中継を精力的に実施するということでしたが,アナウンサーが実況中継が難しいと口を揃えて言っている種目は何か,という問題がありました。三択で,体操,シンクロナイズスイミング,卓球です。どれも難しそうですが,正解は卓球でした。理由は展開が速すぎるということでした。
 見たことを言葉に出すまでには,時間差があります。普段は全く気にならないほどですが,速い動きと同時進行するという比較対照がされると,際だつようになります。言葉に出すことがじれったいほど遅く感じます。
 考えながら行動すると間に合わなくなるということがあります。素早い動きは考えていてはできません。考えるというのは主に言葉を使う速さに依存するからです。慌てると言葉に詰まるのは,ペースが不適応になるからです。
 スポーツは速さが基本です。いちいち考えて動いているわけではありません。キャッチボールでも,考えるより前に身体が反応しています。練習して鍛えるのは言葉の知識ではなく身体の反応です。頭で動作をイメージしながら行動すると,スローモーションになります。運動は勘に頼らざるを得ないのです。
 「ミネルヴァのフクロウは黄昏どきに飛び立つ」。哲学者のヘーゲルが語った言葉です。ミネルヴァはギリシャ神話に登場する知恵の女神で,他の神々や人間に用がある時は,使者としてフクロウを向かわせるという背景があります。知恵は黄昏どき,つまり終わりがけに訪れるということで,後知恵という意味合いを読み取ることもできます。スポーツ解説のように,後からは何とでも言えるという状況です。
 ヘーゲルの真意は少し違うようです。人類の歴史の中では,一つの時代が黄昏を迎えるのは必然ですが,それはその時代を規定していた考え方,哲学,社会経済システムが役割を終えるということです。そこにフクロウが訪れ,次の時代を規定する新しい考え方,哲学,社会経済システムをもたらし,次の時代の夜明けを迎えることができる,そういう時代の新しい転換への期待です。
 ヘーゲルの生きていた時代は,現代と比べると時代の動きがゆったりとしていたのではないかと思います。現代は環境の変化がとても速いので,人間の言葉による知恵が追いつく間がないようです。ミネルヴァのフクロウが訪れたときはすでに遅い状況になっています。例えば,現代を読み解き,新しい時代を語る哲学が見えてこないのも,その例証です。どう生きるべきか? そのような主体的な人生観が見あたらず,時代に流されているような状況です。明日をどう生きるかよりも,今日をどう生きるかが意識されています。
 それと軌を一にして,言葉が軽くなってきました。深い意味の根を持つ言葉が敬遠されて,漂うような言葉があふれています。本を読まない、読めなくなったのは,そこにある言葉の重さを受け止める素養のなさを示します。情報社会の持つマイナスの特質は,言葉の氾濫であるということに気付く必要があります。言葉が浅く軽ければ,知恵も浅くならざるを得ません。切り花言葉ではなく,根のある美しい言葉を手に入れたいものです。

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(2008年10月05日号:No.445)