《よろこびは 現場に立って 考える》

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 全国規模の研修会があって,長野市に出かけてきました。空き時間に善光寺を訪ねました。山門の上に上がることができたので,列に入って急な階段を上ると,四国八十八箇所の寺の名前が梁の上に並んでいました。長野から四国は遠いので,山門の上にミニ巡礼路をつくっていたそうです。この山門は数十年の間立ち入り禁止になっていたそうで,4月から開放されたそうです。この間,鳩が住み着き,鳩の糞が詰まっていたという話でした。
 善光寺本堂の祭壇の裏下に,暗いトンネル道があり,巡るようになっていましたので,歩いてきました。真っ暗で鼻先も見えない道です。壁に手を当てて前進していきます。目を開けて暗闇を見ていると,何も見えないという不安が大きくなるだけなので,目をつぶりました。暗闇を自分から招くという状況にすると,落ち着きを取り戻すことができます。手の触覚に集中して歩き通しました。ほんの数分の歩行でしたが,不思議な体験をしました。牛に引かれて善光寺参りをしたのは,無信心の老婦人だったそうですが,研修に招き寄せられた善光寺詣ででした。
 川中島の古戦場にも行ってみました。ボランティアの方でしょうか,説明をしてくださる方の案内で信玄と謙信の戦いを想像してみました。一騎打ちの様子はそれなりに実感できました,数万の軍勢による戦いがどのような空間の広がりを持っているのか,なかなか把握できませんでした。軍扇一つで全軍を動かすことができるのか,はたして全員に軍扇が見えるのか,命令の声は届かないでしょうから,伝令が走る時間の遅れがあるのでは,といった無知故の疑問があれこれと出てきました。現場に立つことで,自分の身の丈を基盤にした思考が進むようです。
 刑事ドラマを見ていると,行き詰まったら現場に戻るという台詞が語られて,新しい手がかりが見つかるという流れがあります。現場に立つことで,目線が現実を見通すようになります。子どもを育てるときには,子どもの目線まで下げるようにアドバイスされます。子どものいる現場に入るということです。
 座して考えていると,周りの状況が見えなくなるので,判断に空想的な要素が紛れ込みます。気候が寒くなってきましたが,暖房の効いている部屋から外の風景を眺めているとき,歩いている人に吹き付ける寒風には思いが届かないでしょう。凍えている状況は,外の現場に立てば簡単に分かります。
 歴史的な事実を考えるときに,その時代の現場に立つことは不可能です。川中島に立ったとしても,景色は当時とは異なります。山はほぼ変わりないとしても,川は治水のために変えられているでしょうし,橋などの設備も違います。もちろん人家の有り様は全く異なります。それでも,今の現場に立てば,ただ想像するよりも,ましでしょう。
 コピーが蔓延する中で,本物という現物に触れることも大事になります。特に,「テレビで見た」というレベルで,物事を語ることは注意が必要です。
 旅をすると,そこの名物の食べ物を楽しむことができます。それを家に持ち帰っても,同じようには味わえないことがあります。名物はその現場に結びついているということでしょう。
 現場を大事にすることを楽しめるようになりたいものです。

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(2008年11月16日号:No.451)