《よろこびは 言葉生まれる 訳を知る》

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 子育て羅針盤という,子育てのためのメールマガジンを毎週月曜日に発行しています。そのマガジンの末尾に,落書きと称して短い雑学記事を載せています。これまでの分をコピーしましたので,お暇つぶしにご笑覧ください。

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 江戸時代に新井白石という学者がいました。イタリア人の宣教師を尋問した際に聞いたヨーロッパの事情を西洋記聞という書物に著しました。鎖国の中でしたので発禁処分になったそうですが,その書物の中で,外国の地名や氏名などをカタカナで書き表しました。文章は漢字仮名混じりが普通でしたが,カタカナで書くことで外国風のニュアンスが発揮されました。この書き方が現在まで踏襲されているのです。新井白石という学者が身近に感じられませんか?

 上級武士の奥方が住んでいるのは北の方,そこで奥方を呼ぶときに「おかたさま」と言っていました。それが広まり,かか,かかさん,おっかさんと変形し,明治になると,「おかあさん」という言葉として国定教科書によって全国に浸透していきました。文字は母という字が当てられました。ちなみに,母という字は添い寝をしているときの乳房の形を模したものです。「お母さん」。その声をしっかりと受け止めてあげていますか?

 誕生日には,ハッピーバースデー・トゥ・ユーと歌います。この歌は1893年にアメリカで出版された「幼稚園の歌物語」という本の中で発表されたものです。元の歌は幼稚園で朝子どもたちを迎える歌,グッドモーニング・トゥ・オールでした。後に,この歌に勝手に2番としてハッピーバースデーが追加された歌集が発表されました。誕生日の特別な歌ではなく,毎日のあいさつの歌だったのです。子どもの世話は日々の営みを大事にすることですよね。

 子どもはおもしろいことが好きです。おもしろいは,面白いと書きます。面が白いというのは,どういうことなのでしょう。昔むかし,仲間が火を囲むように集まって手仕事などをしながら夜を過ごしました。一人が注意を引くようなことを言うと,一斉に顔があがります。燃える火に照らされて皆の顔が白く浮き上がりました。真っ白な顔が並ぶような打ち解けた状況を面白いと呼んでいたのです。家族の団らんが面白いことになるようにしたいですね。

 子どもは習うことで育ちます。ところで,「ならう」とは,慣ら+ふ(継続・反復)が語源で,その意味は繰り返して同じことを何度もして習慣にし身につけることです。習の漢字も,羽+白(バタバタ重ねる)で,繰り返して羽を動かし稽古する意味だそうです(「語源を楽しむ」増井金典:ベスト新書)。どちらにしても繰り返すことが基本になっています。一度や二度のことは習うことにならないのです。そのつもりで育成に当たりましょう。

 下校している子どもたちを見守っていると,まっすぐ家路につく子どもや,友達とふざけながらはしゃいでいる子ども,ぶらぶらと道ばたの草むらに立ち寄って虫探しをしながら帰る子どもがいます。今は夏休みなので,一日中動き回っているようです。ところで,道草を食うといいますが,どういうことなのでしょうか? 昔は荷駄を馬に運ばせていましたが,急ぎの時でも,馬はそんな事情にはお構いなく,道ばたに美味しそうな草があれば勝手に食べていました。文字通りに道草を食ったのです。横道にそれて時間を無駄にすることの代名詞になりました。ちなみに,道草を食べるとはいわず,道草を食うといいます。

 お正月にはお年玉をあげますね。昔はお金ではなく丸い餅をあげていました。丸が玉の形なので,お年玉と言われるようになりました。育ってくると,七五三です。これは江戸時代の呉服屋さんが考えたもので,大正時代から普及しました。後の時代になるほど,いろんな節目行事が増えてくるので,親は大変です。最近は,洋風のものも入り込んできますので,なおさらです。子どもをダシにする商売はほどほどにしてもらいたいですね。

 ショートケーキがあるなら,ロングケーキもあるのでは? そんなことを考えたことはありませんか? shortには,短いという意味のほかに,菓子などのサクサクするという意味があります。もともとビスケット状の生地をサクッと焼き上げ,イチゴを挟んだケーキでした。日本に入ってきたとき,日本人好みにしっとりと柔らかい台のケーキに作りかえられましたが,名前はそのまま残されたのです。言葉の多義性に注意をして下さい。

 子どもはままごとをしながら暮らしのまねごとをします。ところで,ままごととは食事のまねごとのことです。ままはまんま,ご飯のことです。食事のまねごとですから,当然調理のまねも入ってきます。まな板も必要になります。まな=真肴と書き,副食の意味があり,具体的には魚を指します。まな板は魚をさばくための板なのです。野菜用は切り盤として区別されていました。今は裏表で使い分ける形になっているようです。

 人の感覚は5つあります。5感は視覚,聴覚,嗅覚,味覚,触覚です。この中でもっとも大事な感覚はどれだと思われますか? その軽重を知るためには,無くしたらどうなるかを考えてみることです。生きることに関しては,触覚です。もし触覚を失ったらどうなるでしょう? 立って歩くことができません。足の裏の微妙な圧力を感じなければ立てないのです。足が痺れたとき転けてしまった経験があるでしょう。ものを掴むこともできませんし,起き上がれず,寝た姿勢のままになります。同じように,触れ合いという触覚によるコミュニケーションは,なんとなく見過ごしていますが,最も大切なものなのです。

 子どものことを,むすこ,むすめと言います。「むす」とは,繁殖するという意味があり,産むことを表していました。苔むすと言ったりします。息子,娘という字は後に当てられたものです。子息,令息,息女などの言葉は,中国で使われていたそうです。息の字は息をすることが生命,子孫繁栄に結びついたことから,子どもの意味を持つようになったようです。日本語を漢字で表記すると,本来の意味合いが見えにくくなります。

 今日のおかずは何? 毎日おかずを考えるママは大変です。ところで,おかずとは主食の米のご飯があって,味噌汁以外の料理を言い表す言葉です。ご飯のない洋風の料理をおかずとはいいません。また,おかずは御数と書き,たくさんあるという意味があります。一品ではおかずとは言えません。さらに,その他大勢といったニュアンスもあるので,ステーキがあってもその他大勢の一つという脇役でしかありません。今夜のおかずは何ですか?

 仏像の姿をごらんになったことがあるでしょう。その目を思い出して下さい。半眼といって,開くでもなく閉じるでもなく,中途半端な,まるで眠たいときの目をしています。目を開くと外の世界を見ることができます。一方,目を閉じると内の世界,自分を見ることができます。どちらかしか見えません。そこで,仏像の目は半眼であることで,外と内の世界をバランス良く見ることができるようになります。自分を見るのがもう一人の自分の目なのです。

 子どもはこの世にいない不思議なものに興味を持つものです。河童をカワワラワと読みますが,それがカワワッパとなまり,さらにカッパになりました。通説です。お寿司のネタになったキュウリをカッパといいます。カッパの好物だからといわれていますが,そうではないようです。キュウリが育つ途中,先端に花がついている状態の形が,皿を頭にいただくカッパの姿に似ているからだそうです。キュウリの育ちをごらんになったことがありますか?

 ジャイアントパンダ=大熊猫。レッサーパンダ=小熊猫。ちなみに,パンダとはネパール語で「竹を食べるもの」という意味です。ところで,最初はパンダといえばレッサーパンダのことでした。先に見つかったからです。後から見つかったジャイアントパンダも竹を食べるのでパンダと呼ばれるようになり,有名になりました。区別するために先輩パンダをレッサー(より小さい),後輩パンダをジャイアントと呼んでいます。元祖パンダはレッサーパンダです。

 お母さん。子どもが使う呼び方です。今ではいい若者が自分の母親のことを話すとき,お母さんと言っているのはいかがと思います。大人になれば,母と言う方がいいでしょう。ところで,ハハとは,乳首を求める乳児の甘え声が語源だそうです。中世までの発音ではファファであって,甘え声そのものです。ちなみに,母の漢字も,女の文字に乳首を表す点を二つ付けた写実的なものです。乳は母のシンボルなのですね。妻のシンボルではないようです?

 しあわせ=幸せ。語源は,仕合わせ,為合わせで,良いことが重なるという意味だそうです。元は二つの動作・行動をして合わせることだったのですが,良いことが重なるという場合だけに使われるようになったようです。幸という字は,若死の逆,すなわち長生きが語源ということです。行為を合わせることという形を受けると,一人よりも二人の方が仕合わせに近いということになります。母子,父子,夫婦それぞれに仕合わせでありたいですね。

 「いただきます」。だれに向かって言っているのでしょうか? 昔のことです。家の台所には,荒神様という火の神様がまつられていました。この神様のお陰で火を使い,煮炊きができると信じられていたのです。食事の作法も,荒神様を敬うことからでした。このような台所で作られた食事ですから,荒神様への感謝の意味で「いただきます」というようになったそうです。食後の「ごちそうさま」も,神様に向かって言う言葉だったのです。

 お赤飯のことを「おこわ」といいます。こわいというのは,かたく,つっぱっているという意味だったそうです。人が恐ろしいと感じるとき,身体の筋肉がかたくつっぱってきます。そこで,室町時代頃から,恐ろしいことをこわいと言うようになりました。子どもが怖がるときには,身体をかたくします。緊張して顔がこわばるというのも,関連が伺えます。何かの節目におこわを作ってみてはいかがでしょう。

 研修で長野市を訪ね,善光寺にお参りしてきました。賽銭に5円=御縁をあげました。賽銭は10円ではいけないといわれます。10円=遠縁であるからだそうです。善光寺の山門に登ってきましたが,壁に四国八十八霊場の名札が並べられていました。四国は遠いので,ミニ巡礼路を造っているという説明がありました。ちなみに,八十八とは男の厄年42歳,女の大厄33歳,子どもの厄の13歳を合計した数だそうです。

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 今日までのところは以上です。また書きたまったら,ご紹介します。

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(2008年11月23日号:No.452)