《よろこびは 匿名の中 徒になり》

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 サスペンスドラマを何気なく見ていると,自分の名前を呼ばれました。気をつけて聞いていると,ドラマの中で頻繁に出てきます。登場人物の一人のようですが,小悪党で最初に殺された被害者でした。殺された○○といういわれた方をしていました。漢字は違いますが,呼び名が同じで,私は殺されたのかと思うと,不思議な感じでした。
 姓も名もありふれたものなので,ひらがな名前が同姓同名になることは十分にあり得ます。平凡すぎて主人公にはなれそうもない名前なのですが,まさか被害者とは想定外でした。昔から,男の名前は口にするものではなく目で見るものなので漢字で書き,女の名前は目で見るものではなく呼ばれるものなのでひらがなにするといわれてきました。口にしてもかっこいい名前であったらよかったのにと思いますが,親に付けてもらった名前なので,愚痴は言えません。
 個性化の時代というのに,個人情報の保護という意味から,名前を公表することは控えられます。名前を秘して個性化もないものです。それは個への閉じこもりになります。名前は個人情報であるから最も個性的なものです。匿名という世界では,人は品格が問われます。旅の恥は掻き捨てという弱さがあることを弁えた上で,品格を保つのが社会人です。
 個人的な感情の赴くままに,社会に八つ当たりする下品さがひどくなっています。誰でもよかったという凶行が起こるというのは,人としての最低限の素養が失われたことを示す事例です。手前勝手な閉じた個性化が,保護という動きにつけ込んで蔓延り始めているような気がします。不安ばかりが煽られている弊害です。
 便利になった社会では,手軽にことが済むということが手軽に悪行が可能であるということにもなります。いわゆるオレオレ詐欺にしても,ATMの便利さが生み出したお手軽犯罪です。大事なことはお手軽であってはいけないのです。便利さと引き替えに,細心の用心をする必要性が膨らんでいるのです。
 個性尊重ということの背後にある自己責任には両面があり,よいときは果実がありますが,わるいときは毒を食わされることもあります。信頼と不安のバランスを保ちながら,微妙な舵取りをこなしていく度量が求められています。便利であることは,危険度が増していることです。よいことの背後ではわるいことが肥大化しているアンバランスがあります。
 情報社会では、悪しき情報利用も可能になります。手軽に大麻の種が得られるので,さして気にすることもなく購入していった若者たちがいます。大学生といえば、一応の品性を補償される人ですが,情報の後ろめたさを感知できないようでは,社会的な偽装表示になります。悪貨は良貨を駆逐するという説がありますが,一滴の濁りが混じり込むと,全体がきれいではなくなり,いったん濁りが生じると,歯止めなく濁り続けていきます。先行きが不安になります。
 名に恥じない生き方,それは名前に対するプライドと責任を維持する覚悟から可能になります。たとえ,匿名が普通のネット空間でも,名前を持った者が信頼しあう前提を忘れないようにしたいものです。よろこびは信頼の上でこそ,感動につながります。

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(2008年11月30日号:No.453)