《よろこびは 知恵の整理に 手を掛けて》

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 ある特別なノートが売れているそうです。横罫線上に等間隔に点が打たれているそうです。東大合格者のノートを調べたら,整然と記帳されていたことから考え出されたものだそうです。行頭が項目毎に揃えられ,グラフも正確に描かれていました。罫線に等間隔に付された点を目印にすると,自然に整理ができるという仕掛けです。
 そんな点がなくても,行頭のスペースを章,節,項の順に適当に取ることは,ノートを取る基本でした。ノートに誘われなければできないということでは,学習の基本ができていないということです。乱雑に書いたノートはほとんど役に立ちません。整理をする過程で,自分の頭の中を同時に整理することになります。手間暇をかける,つまり,考えた手の動きを伴うことで記憶が助けられます。
 学習をするとき,ノートをきちんと取ることを心掛けてきたものです。授業中にすべてを書き取ることはできないので,予め授業前にノートの右面に自分なりにまとめておきます。分からないところには印を付けておき,授業で新しく出てきた部分左側に追記します。すでに理解しているところの話は聞き流すことができるので,時間は十分にあります。授業を受ける態勢になっているので,先生の話がすんなりと頭に入ってきます。教えられるのではなく,学ぶのです。
 昔のことをつい思いだしていますが,学ぶ機会がある場合,基本はそれほど変わっていません。ただ,逆に学生に教える立場になるとき,学ぶ態勢になるように言い聞かせるのですが,聞き入れるものが少ないのはとても残念です。折角の機会を生かそうとしないのはもったいないのです。学ぼうとせずに,教えてもらおうという甘えの習性が染みついていて,すでに手遅れというあきらめがあります。それでも,何人かでも学んでくれていることが救いです。
 今,ノートを取ることはほとんどありません。もちろん学びの機会はありますが,整理はパソコン上で済ませています。便利な筆記具ができたものです。絵やグラフがどのようにでも貼り付けられます。ただ,少しばかり,扱いかねています。読み返すときに,ぱらぱらとめくる所作が,ノートのようにできないということです。パソコンの画面は狭いので,机の上で数冊のノートを広げて同時に見比べるといった芸当ができません。これが意外と大事なのです
 情報が豊かに手に入る社会になりました。整理の技術も便利になりましたが,自分にあった形を見つけることが大事です。ネットで調べるということに頼っている人がいるようですが,それは他者が整理した情報です。整理する背景には,その人なりの物差しがあるので,注意しなければなりません。自分の物差しで整理した情報でなければ,自分の思考に生かすことができないのです。手に入れた情報では,受け売りという段階で彷徨うことになります。
 情報や知恵を楽しく正確に利用できるように,自分なりにきちんと整理したいものです。

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(2008年12月07日号:No.454)