《よろこびは 背筋伸ばして 歌うとき》

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 県の文化祭の一環として,吹奏楽フェスティバルが町の生涯学習センターで催されていたので,聞きに行ってきました。県内のアマチュア団体が出演していました。何も考えずに,音楽のリズムに手の動きを合わせ,メロディに気持ちを揺らすつかの間の時間を楽しむことができました。音楽の素養はないので,よしあしは皆目分かりませんが,自分なりに楽しむことができれば,演奏者に寄り添えるのではと勝手に思い込んでいます。
 出演団体はほぼ15分以内の時間の演奏であり,3曲でいっぱいのようでした。はじめて耳にする曲目ばかりでしたので,新鮮に聞くことができました。出演の交代のときは,それぞれ編成が違うので,イスの移動や配置換えなどの作業が必要でしたが,その人手として,地元の吹奏楽をやっている中学生が手伝っているようで,そのてきぱきとした動きがさわやかでした。
 演奏の所々で入ってくる瞬間的な音があります。演奏者のそれらしい動きを目に入れますが,その音を大音量の主旋律の影に耳で聞き分けることを試してみました。確かに聞こえてきたときと,かき消されていたときがあります。専門家であればちゃんと聞き分けるのでしょうが,難しいものです。生演奏を聴くと,目で聞くという情報が入るので,余計な楽しみ方で遊んでしまいます。不謹慎でしょうか?
 障害者の演奏会にも行ってきました。「それぞれがそれぞれに,音の出ない動きを楽しみ,響きの中に溶け込んで,美しい世界に入っていく。それぞれがそれぞれに,何かに向かって願いを歌い,瞳の中に写る君とあなたが,互いの優しさを絡ませる,それぞれがそれぞれに,それぞれがそれぞれのために」。会場で配られたアンケートの感想欄に言葉を書き込んできました。
 この秋は,久しぶりに音楽の世界で時間を費やすことをしてみました。演奏ばかりで歌詞のない音楽ですが,曲の流れに気持ちを載せていると心地よいと感じるのは,身体が喜んでいるのでしょう。歌詞があると言葉によって描かれる情景を知的なフィルターを通して聞き取ります。思考回路を通さないと意味の理解という反応はありませんが,より直に感性をくすぐってくれます。聞き手が共鳴する,心が震える,そんな単純さを楽しみました。
 歌うことは,どちらかといえば,好きな方です。うまくはありません。式典で町の歌を歌わされることがありますが,どうせ歌うならきちんと歌おうと,邪魔にならない程度に声を出して歌っています。ぼそぼそと歌っている人を見ると,ふてくされているように見えて,余計なお世話ですが,素直に楽しめばいいのにと思ったりします。
 そういえば,姪の結婚式のとき,女性のコーラスと一緒に賛美歌を歌いましたが,中心になっている一人の女性が音量豊かに歌うのに誘われて,合唱に紛れて声を張り上げました。精一杯お祝いの気持ちを載せたつもりですが,届いたでしょうか?
 湯船につかって,でたらめに節を付けていると,そのうちに何かの歌が引き出されてきます。歌詞を覚えているときは歌い,そうでないときはハミングで歌っていると,時間を忘れます。出てきた歌で,いろんな思い出がよみがえります。人生の節々に歌が織り込まれているのを感じます。ただ,最近の歌が少なくなっています。それだけ,音楽を聴く機会がなくなってきたのでしょう。ところで,伝統的なお謡などには全く無縁であったので,そちらの方には反応することがありません。食べず嫌いのまま,終わっていくのかもしれません。それはそれでいいと思っています。

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(2008年12月14日号:No.455)