《うれしさは 人と人との 掛け合わせ》

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 高いところに手が届かない。そこで椅子を引っ張ってきて足場にします。足し算の知恵です。暑いから窓をあけて風を入れます。引き算の知恵です。重いものを動かしたいときにはそばにいる人に手伝ってもらいます。掛け算の知恵です。家族の団らんの楽しさは分け合って食べることです。割り算の知恵です。人が授かっている知恵の力を使えば,できなかったことができるようになります。その知恵は,何とかできないかと考え続ける意欲に導き出されてきます。
 収支を損得勘定とするときには,足し算は得,引き算は損となります。足し算思考で人間関係を持つとき,他者を踏み台とみなすことが起こります。引き算思考で人間関係を持つとき,他者を抹殺しようとしかねません。足し算や引き算では他者が0となっても本体は一向に構いません。ところで,社会の人間関係は掛け算になります。他者が0になると,掛け合わされて無に帰します。和差計算による損得の一次元世界は単純で分かりやすいのですが,人間関係にまで広げてしまうと,非情な世界が生まれます。損をしないために,経費削減という切り捨ても許されてしまいます。
 掛け算になると二次元三次元と世界が膨らみ,価値観の多様化がもたらされます。上下という一次元にこだわって窮することがあっても,左右という二次元,前後という三次元を組み入れると,道は拓けてきます。会社における上司と部下,家庭における親子といった上下の関係だけではなく,友達や同僚といった左右の関係,さらには,世代間のつながりの前後の関係,このように人のつながりを空間的に維持することが大切です。
 お互いの関係が,いなくてもいいというのは和差の関係,いなくてはならないのが積の関係です。それぞれの次元でお互い様の積の関係となるように努めることが,信頼関係を紡ぎます。自分の周りの人をいなくてもいいと思うとき,逆に自分もいなくてもいいと思われるようになります。人を利用しているつもりでいても,実のところは利用されてしまう羽目に陥ります。
 生活のあれやこれやを損得勘定,つまり足し算引き算でしか見ていないような世情を感じます。誰かの弱みをあげつらって転けおろしている言質が蔓延っています。自分はどうなの? 自分を無関係な傍観者の立場に置いて,いかにも訳知りな物言いを聞いていると,この人は掛け算型の思考ができていないと思ってしまいます。社会のあれこれは陰に陽に自分と関わり合っています。他者が0なら,自分も消えてしまうものです。触れ合いは足す引くの関係にはあり得ないのです。世の中が変になっているのは,計算能力の低下です。
 掛け算といえば,ににがし(22が4)? 人間関係の捉え方に応用してみませんか? 何か違ったものが見えてくるはずです。人と人とは足し算なのか,それとも掛け算なのか。連れ合いとは掛け合っているような気がしますが・・・。

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(2009年03月15日号:No.468)