《うれしさは 古人の思い 伝え聞き》

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 車に乗って信号待ちをしている車列の後尾についたとき,前車のリアウインドウ越しに「赤ちゃんが乗っています」の札が見えました。後部右座席にはチャイルドシートがあります。よく見られるメッセージです。見せられる方はどう対処すればいいのかよく分かりません。ドライバーが慎重な運転をすればいいのであって,後続車は追突を避けるくらいの用心が求められているのでしょう。ただ,追突の用心は,誰が乗っていようとすべきことです。
 ふっと妙なことを考えました。「赤ちゃんが乗っている」という言葉は,誰が言っているのでしょう? 外から見た人が,この車には赤ちゃんが乗っているという場合もありますが,それは除外します。ドライバーが言っているにしても,他人の赤ちゃんでしょうか? 気になったことは,自分の子どもを「赤ちゃん」と呼ぶのかなということです。自分の子どもであれば,「赤ん坊が乗っています」と言わないのかなという迷いです。赤ちゃんという呼び方は他人が使うのが耳慣れているような気がします。もっとも自分の赤ん坊を赤ちゃんと呼んでも,間違いということではなく,いたって個人的な感想に過ぎません。
 もう一つ気になったついでがあります。赤ん坊という呼び方は男女関係なく使っていますが,坊というのは男の子ではないのかということです。坊ちゃんといえば男の子です。つまらないことが気になりながら,青信号で発進して運転に戻ると,迷える思考は中断しました。
 夕食時に思い出して,連れあいに尋ねてみました。何を考えているのかといった風で,全く話に絡んでくれません。どうでもいいことをまた言い出したとあしらわれているのでしょう。
 事象を切り取って表現している言葉は,限られた文字を当てるとき,意味の重なりが生じます。普通は連想の上につながっているのですが,時として,連携に無理な部分が紛れ込んできます。赤ん坊という言葉自体は嬰児という意味を持ちますが,坊という文字が坊ちゃんという連想につながると,赤ん坊は男子かという矛盾めいたつながりを引き出します。言葉はつながっていますが,そのつながりの多様性が十分に整理されないままに定着しています。
 少年という言葉があります。年が少ないという言葉ですから,男女の区別は含まれていません。しかし,少年は男の子にしか使われません。そこで,少年少女という中途半端な対語が生まれてしまいました。少年=少男+少女というのなら,論理的に明確になります。
 言葉は昔の人が作り出したものであり,昔の人のイメージを表しています。男女をどうイメージしていたかという歴史的な背景が反映されてきた名残です。男女という言い方も,女男と逆にすることはほとんどありません。夫婦という文字を「めおと」と読むのも,昔の人が抱いていた思いがあったからです。日ごろ使っている言葉によって,旧い時代のイメージが意識しないままにすり込まれていることを弁えておく必要があります。

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(2009年03月22日号:No.469)