《うれしさは 今できること やり終えて》

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 ある組織で行った事業の報告書が送付されてきました。手にしてみると,何か変な感じがしました。体裁に不調和感があるのです。確かめてみると,ページの欠落がありました。事業の概要をまとめている最初の1ページです。当日配布の資料と同じものなので,合わせると用は足ります。ページ番号が欠けているので,できあがりを確認するときに容易に気がつくはずのものです。事務局は当然につかんでいると思い,そのままにしておきました。いずれ,何らかの連絡があるだろうと予想していました。
 年度末の会議がありました。その日まで何の対応もなかったので,会議の席で報告があるだろうと期待しながら出席しました。ところが,事務局からも議長からも話が出てきません。仕方がありません。ページ欠落について尋ねてみました。事務局は把握していました。ただし,印刷所からの自己申告があったというのです。それをそのまま不問に付して放置していました。印刷依頼に様々な無理を頼んだこともあったので,という言い訳もありました。
 欠落しているページは,当日資料に含まれているものと同じなので,それで補えるでしょうという見込みも説明されました。いい仕事をしようという気概を疑いました。たった1ページの欠落に過ぎませんが,出席者にお届けした報告書は不良品です。大したことではないからと,見過ごしにしてもいいようなものです。しかし,それは受け取った方が思うことであって,送り付けた方が期待することではありません。
 受け取った方は不良品を受け取ったということになり,次には,送付した方がそのことを知っているかどうかが気になるでしょう。送り出した方が,欠落したことを知らせ,そのページを届けると同時にお詫びをするという手続きがあって,はじめて許されることです。失敗はあります。大事なことは,そのフォローをきちんとするかどうかです。放置されると,ないがしろにされていると思われます。事務局の仕事ぶり,ひいては事業責任者の気配りを疑われます。公的な機関がいい加減な仕事をしているという印象を与えることは避けるべきです。一報を追伸するということで落ち着きました。
 信頼とは,小さなミスであっても確実に補うことです。小さなミスにまで目が届いているという姿勢を示すことが,信頼を生み出します。それなりの方が揃っている会議ですが,事務局を信頼しているせいか,誰もページの欠落に気付いていないようでした。自分たちの責任で届けられた報告書を自ら検分することを怠っていたのでしょう。重箱の隅をつついているようであまり気分の良いことではありませんでしたが,いい仕事をするという責任は果たしたいと思っています。
 忙しい時代です。次から次に新しい業務が飛び込んできて,終わってしまったことの後始末はしておけばいいといった気のゆるみがあります。報告書は形式的なものであり,重要な業務ではないと思いがちです。しかし,報告書は残ります。時が経つにつれて,事業の記録という意味合いが熟していきます。歴史という流れの中では,今しておくこと,今しかできないことを怠れば,後悔先に立たずという羽目に陥ります。先々への責任,それは今できることを完遂しておくことです。

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(2009年03月29日号:No.470)